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スピリチュアル、占いについての雑感

目には見えない世界のこと

作詞家になりたかった頃、また、2000年に作詞家としてのキャリア(そんなに大げさなものではないのですが・・・)をスタートしてからは、更なる発展のためにも、スピリチュアル、成功法則、占いなどに傾倒する傾向が自分にはありました。

今もないとは言えなくて、人から見ればかなりスピリチュアリズムな思想家であり、

一般的な感覚とは異なる自然観、世界観を観ていると自分では感じています。

多くの音楽制作に関わらせていただき、今もまだ細々とではありながら、歌を書く機会があるということは、引き寄せの法則の実在の証明でもあります。

世の中は泡沫の如く、陽炎の如く

子供の頃から目に見えないものを信じて、日本神話、ギリシャ神話、ケルト神話、哲学を謳う詩集などを読むことを好みました。

空想妄想癖がかなり大きく、物事の裏側を見ようという感覚が幼い頃からありました。

頭の体操という本が大好きで何冊もシリーズで買ってもらって読了していて、知能指数のことで病院で脳の検査を受けたこともありました。

小学生ながらルービックキューブが得意で、ネタを明かせば虎の巻を読んでのことではありながら、それでも20秒台でルービックキューブを揃え、テレビに出演させてもらったり、自分としては、何か特殊な存在になりたいのだという欲が幼い頃から芽生えていたのだと思います。

作詞家になり、平井堅「楽園」は一年を通してのロングヒットを記録。以後、様々な作詞のオファーをいただきました。

石川さゆり、前川清、中村美律子、上白石萌音、宇都宮隆、嵐、V6、KAT-TUN、Sexy Zone、島谷ひとみ、光永亮太、片瀬那奈、神谷浩史、畠中祐、etc…

(心から敬いながらもアーティストとして敬称は略させていただきました)

全てはここに書ききれないのですが、これらの仕事、人脈、ご縁、奇跡を引き寄せた力の中には、そのようなスピリチュアル、成功法則、占いなどの恩恵・恩寵もあったのだと思います。

そしてもちろん、神仏祖先、ご縁ある生命の力。

紆余曲折に波乱万丈

それでも人というのは愚かなもので、人間万事塞翁が馬、禍福は糾える罠の如し、陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となす。何があるかは、わからないのが人生。

浮かれた日々が増えれば、歩む道がたとえ崖のような場所に近づいていたとしても気がつかない。

現実と妄想の境目もわからないような暮らしを10年ほど。

「世の中を泡沫の如く、陽炎の如くと見よ」(ブッダの真理の言葉・感興の言葉【ダンマパダ】 中村元訳)とブッダは説きました。

幼い頃から、宗教というわけではなく、聖なるもの、神仏に向かって手を合わせて祈る習慣があり、子供の頃からどこか、この人生は迷い夢のような部分を合わせ持っていると感じていました。

ぼくが携わらせていただいた音楽の制作現場は自分の自覚をはるかに超えて緊張感の高いプロジェクトばかりでした。

作詞に集中する際には心を研ぎ澄まし、まさにゾーンに入るという精神状態になることと、やはり、自分は特別なことをしているのだという優民思想、脱世俗感から、ぼくの場合は関連妄想、睡眠障害、被害者意識、などが加速し、何度か病院にお世話になりました。

パニック状態になり、一般常識的ではないであろう発言をするクリエイターではありながら、当時の所属事務所・マネージャー・恩師・恩人、全ての皆様は、当時、ぼくを見捨てたりすることはなく、ぼくの内心を考慮しながら、お仕事を与えてくださいました。ぼくがまだ若かったこともあったからと、とてもありがたく思っています。

今思えば、とてつもない奇跡であり、愛であり、どのようにお返しすれば良いのかさえもわからないほどに、ありがたさだけが心に溢れ続けています。

パンデミック以後の世界

2019年あたりからのコロナ禍により、変動し、磁場までも移動したのではないかと思えるような世界。

ぼくはその頃、思うところがあり、スーパーマーケットの掃除のアルバイトをしながら、クリエイトのお仕事をしていました。

やがてコロナ禍が加熱した頃に、自分も濃厚接触者の立場であったことから検査を受け、陰性ではありましたが、掃除のお仕事を辞めさせていただき、それこそ、思うところがあって、頭髪をスキンヘッドにして家賃も当時の半額以下ほどのアパートへ引っ越しました。手放す暮らしを実践しようと決めたのです。

ブッダ、ヨーガ哲学、インド哲学、あらゆる宗教で説かれるように煩悩こそが迷い、無知、無明の元であると自分なりに、その当時なりに悟った気になっていました。

それ以前からも瞑想を暮らしに取り入れていたことから、毎朝晩、瞑想、祈り、慈悲の瞑想を行い、呼吸による気づきも体感し、今、このとき、すべてはあり、全ては満たされている、ひとつであるということも、実感しました。

内なる光にも気づいた感覚で暮らしていました。

この人生、もうすべてを、命を辞めて、このまま歩いてどこかの県の山まで歩き、飲まず食わずで、なるようになってしまおうかと思ったこともありました。

実際に、きっと、言葉にしても信じていただけることではないのだけれど、自分の人生は一度終えたのに、終えることをさせていただけなかった人生なのだとして、ぼくは今を生きています。

この世界が迷い夢であろうとも現実であろうとも、それが交差する磁場であろうとも、ぼくたちは生かしていただいている間は生きていかねばならない。

何を信じ生きるのか

ここ最近で言えば、4月にまた約2週間、入院をしてしまうことがありました。

入院前の数ヶ月、水垢離、いわゆる祝詞を唱えながら冷水シャワーを浴びる行為を毎朝晩続けていました。気温零下の日々の中、凍えながら冷水を浴び、それが未来に繋がると信じて続けました。

何事も素人判断は危険です。

それが入院の原因になったわけではないのですが、入院の数日前に立て続けに様々な不穏なことが起き、自分としては精神不安定になっていたところ、人の声が聞こえたり、それこそ信じられないかもしれないのですが、聖者であるパタンジャリから話しかけられる声がしたり、ヨーガでいうところのクンダリーニという現象に似たことが自分の身に起きました。

あなたのお名前を教えてくださいと聞くと「パタンジャリ」と答えられたのです。

聞こえるはずのない声から住所を聞かれ、正確に答えると「そこは任せた」と声は言いました。

そうして、自分の置かれている現実を見据えた時、ぼくは入院させてもらうことにしました。

結果、医療保護入院という形になりました。

執着を手放す

日々、ルーティーンとしていた朝晩の水垢離、またはスピリチュアルな様々な儀式、祈り、マントラのような祭祀の目的は何だったかと言えば、自分の思い上がりだったのです。

現役第一線、最前線ではないとしても、自分としてはかなりのことをなしてきたのだという思い上がり。もう一度、この人生を歌に賭けて、再起するのだという焦り。

それらの欲望煩悩に天は警告と啓示を与えたのだと、ぼくは受け止めています。

2024年、今年の正月には能登半島で信じられないような大地震があり、それだけでなく、日本中、あらゆる場所で、今も復興のために、なんとか生きようとしている方々が存在しています。

2024年1月1日は今も暦の上ではこれ以上ないほどの大幸運日と謳われています。

そのような日に起きた天災。

あの日の朝は見上げた雲の流れが前日と逆を向き、何か変だなと感じました。

大吉日、それなのに起こった大地震。そこに至る意味をぼくは自分の身に置いて考えてみました。

あの日、自分の行いを省みた人は多いと思います。

何か、生き様を間違えてきてしまったのではないか。

実際の被災地の方々からすれば、このような言葉も、話すべきではないことと思いますが、自分としては、とても生き方について考えさせられるお正月になりました。

何事も偏りすぎずに

何かを信じすぎるということは時に危険なことでもあります。

特に、成功したいがために、現状を変えたいがために、あれもこれもを信じるということは自分を見失ってしまう行為でもある。

世の中には白を信じる一派もあれば黒を信じる一派もある。

赤もあれば紫もある。

自分はこの道をゆくのだという道が定まっていないと、これからの時代、本当にどこへ向かうべきかがわからなくなってしまうことでしょう。

仏陀が人間の生き方の科学として説いたように、中庸こそが身体・心を守る道なのだと今は思います。

慈しみを心に

スピリチュアル、成功法則、占いを信じてはいけないと言いたいのではありません。

道を決めて、自分の道をしっかりと歩みましょうと、本来、そんなことを言えるような立場でもないのですが、そのことを伝えたくてこのブログを書いています。

自分のハートを内側から支えてくれる光。

それは愛なのか、慈しみなのか、感じる瞬間瞬間で異なるのだろうけれど、自分自身を愛しましょうと伝えたい。

ぼくは自分の欲望と煩悩から、親しい生命の悲しみ、痛みにさえも気づけないような精神状態で、自分の成功だけを願うように歩んでしまっていた。

慈しみの心をひと時も忘れたりしないで歩めるような道を歩みたい。

外側で起きていることに一喜一憂してしまえば、外側の物事・万象に人生は支配されてしまう。

時代がどのように変わろうとも、人生をより良くする光は、ぼくたち一人一人のハートに与えられて、皆、この地球に生まれてきたのだとぼくは思います。

心が通いあう瞬間、自分の願いが叶う瞬間、祈ることの至福、それを感じ、伝え合い、与え合うために、ぼくらは生まれてきたのだと思う。

これから先も、きっと時代の中では様々なことが起こりうるでしょう。

聖典、スピリチュアル、成功法則、占い、哲学、の中には確かに真理が説かれています。

本当に現世を捨てて、精神世界を生きるというのであれば、きっと、それらは真理となるでしょう。

それでも、ぼくたちは、この俗世に生きています。

この現実と呼ばれている世界の中で、どのように自分自身の身体と心を守り、生きていくのか。

ぼくがたどり着いた答えは、慈しみの心、慈悲、慈愛の心でした。

感謝の心です。

何度もぼくは失敗をしてきました。

人の心の機微を紡ぎ表現することを仕事にしてきながら、自分本位で生きて、欲望に取り憑かれてしまった日々もあった。

人間の素晴らしさとは何か、と考えてみた時、それはやはり人と人の心のふれあいの中にある喜び、助け合い、理解、赦し合い、希望を灯し合うこと、愛し合えることだと思います。

今の時代、長生きをしたいなんてことを思う人も少ないのだろうと思えるほどに、先の見えない情勢でもあります。

それでも、ぼくは長生きをさせていただけるのであれば、そうさせていただくことでたどりつく真理はあると感じています。

また、たとえ志半ばで天国へと旅立つとしても、そのような魂にはまたそのための真理への気づきがきっとある。

あるがままに、なるがままに、という心境で、ぼくは今を生きています。

食べ物もずっと長年、質素に暮らしてはいますが、時に自分なりの戒を甘やかし、自分にご褒美を与えることもよしとするようになりました。

それも正解なのか不正解なのか、今の自分にはわかりません。

わからないながらもハートは、人間らしくヒューマンでありなさい。温かなハートを忘れずにいなさいと、ぼくに語りかけてくるのです。

押し付け、決めつけ、差別などだけは、自分の心の中に起こしたくはない。

誰もが慈しみ合い、譲り合いの精神で生きることができる世界ならば、そこがたとえ小さな世界であったとしても、人間は幸せに生きていけるのだと思う。

自分の思想をただ垂れ流したかのようなブログではあるのですが、何か伝わることがあればいいなと思っています。

自分なりに、今振り返れば、自分基準で見てかなり壮絶な人生を歩んできたのかもしれないなと感じています。

それでも世界を見渡せば、ぼくなんてひよっこのひよっこ。

比べ合うこと自体がまちがっています。

心を込めて伝えるならそれは伝わる

このことを、これからも、伝えていこう。

価値あることを、魅力あることを伝えることができるように、これからも学ばせていただこう。

人生はとても不思議。

やはり泡沫であり陽炎であり、時に迷い夢ではありながら、それでも希望はいつもある。

希望はいつも僕たちに語りかけ呼びかけている。

Don't Worry, Be Happy.

まやかしの魔物に惑わされず、本当の豊かさをハートに灯し、歩む道を心に描く。

呼吸ができて屋根があり、水を飲むことができる。

会って話をして、話を聞いてくれる人もいる。

それはとても幸せなこと。

あらゆることが、どんな状態になったとしても、その中で幸せを見つける気持ちだけは忘れないでいよう。

このことをいつもハートに語りかけて生きていたなら、きっといいことがあると思っています。

偏りすぎず、求めすぎず、あきらめすぎず、たとえ経済的にはどんな状態であったとしても、心は豊かでありたい。

あなたはどう思いますか?

長い間、崖っぷちを生きてきた

ぼくはたとえ、人から見れば、可哀想に見えてしまうような、たとえさげすまされてしまうような状態にいるときも、ハートはいつも幸せです。

まさにタロットのフールのようでもあるけれど、ポケットの中にはワールド、スター、マジシャン、ペンタクルスの9そして四葉のクローバーと白い羽を持ってこの迷い夢の砂漠を歩いてゆこう。

聖者パタンジャリから任されたことは受け取って探求しよう。

迷いの砂漠になるのか、気づきの砂漠になるかは自分次第。

気づき始めた時から光はつながり始め、やがて輝きで光の広場になる。

広場からつながり始めた光は小さな島を輝かせ、本土につながり、世界まで輝かせるかもしれない。


慈悲の瞑想 簡略式

私は幸せでありますように。

私の親しい生命が幸せでありますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

すべての生命よ幸せに。

Makoto ATOZI


作詞家 Makoto ATOZI プロフィール

平井堅「楽園」より作詞家としてのキャリアをスタート。

以後、ジャンルの枠を超えて様々なアーティストの音楽制作、レコーディングに参加。

現在は歌を書く喜びを伝えたいという志から、ソングライティングセラピー作詞教室を主宰。

今後は作詞だけではなく、詩人として、旅人として、真理探究家として、世の中に価値あるものを提供できるようにと精進中。

近々の目標としては、しっかりと自分の経済基盤を立て直し、インド・リシケシへ旅して詩集を出版したい。

日本全国へ詩を届ける旅をしたい。

何十年経とうとも色褪せない歌を届けたい。

歌詞提供アーティスト

男性アーティスト 50音順 嵐 / 今井翼 / 岩田光央 / おれパラ(小野大輔 鈴木健一 森久保祥太郎 寺島拓篤) / 宇都宮隆 / ESCOLTA / 笠原涼二 / KAT-TUN / 神谷浩史 / Coming Century / GYM(山下智久) / ジャニーズJr / Skys The Limit / Silky Voice / Sexy Zone / タッキー&翼 / TRIPLANE / CHILD HOOD / 20th Century / NEWS / 畠中祐 / PaniCrew / 平井堅 / V6 / 藤木直人 / 前川清 / 光永亮太 / Lead

女性アーティスト 新井裕子 / 石川さゆり / 石嶺聡子 / 上原奈美 / 片瀬那奈 / 上白石萌音 / SATOMi / The Girls with Sifow / SANA / Shifo / 島谷ひとみ / シュークフラッシュ / Z-1(当時 上戸彩所属) / 中島由紀江 / 中野めぐみ / 中原小麦 / 中村美律子 / nami(玉置成実) / 平田志穂子 / BENI(安良城紅) / Boogaloob、 / majiko / MINAKO(米米CLUB) / mirai

いただきましたサポートは活動生活資金として大切に使わせていただきます。創作活動を持続できますよう温かな御心とサポートいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。あなたが幸せでありますように。