見出し画像

どんなに遠く離れても

カリール・ジブランというレバノンの詩人がいる。

彼は『預言者』という詩集のなかで、「子ども」について、次のように書いている。すごい深淵な言葉なので、読むたびに、考え込ませられる。

あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。
そこから生まれた息子や娘、
それがあなたの子なのです。

あなたを通ってやって来ますが、
あなたからではなく、
あなたと一緒にいますが、
それでいてあなたのものではないのです。
子どもに愛を注ぐがよい。
でも考えは別です。
子どもには子どもの考えがあるからです。

あなたの家に子どもの体を住まわせるがよい。
でもその魂は別です。
子どもの魂は明日の家に住んでいて、
あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。

子どものようになろうと努めるがよい。
でも、子どもをあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命は後へは戻らず、
昨日と一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。
その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。
射手は無窮の道程にある的を見ながら、
力強くあなたを引きしぼるのです。
彼の矢が速く遠くに飛んで行くために。

あの射手に引きしぼられるとは、
なんと有難いことではありませんか。
なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、
留まっている弓をも愛しているのですから。

カリール・ジブラン、佐久間彪訳『預言者』至光社、1998年、pp.25-26.

子どもは、親のもとから飛び出して、世界に向かって行く。

遠く、遠く、親の手が届かない場所へ進んでいく子どもに、親はどうやって命を注ぎ続けることができるんだろうか。。。

今日の聖書の言葉。

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。
ルカによる福音書 11:13 新共同訳

神は、人間が、神のもとから飛び出すことを、あえてお許しになった。聖書の遠大なストーリーは、そのようにして始まったんだ。神は、鉄の箱の中に人間を永遠に閉じ込めるようなことは、しなかった。

弓矢のように引き絞り、解き放たれ、遠くへ飛び出して行く人間に、しかし、それでも神は、神の命を与え続けることを、やめようとしない。

どうやって? それは、聖霊をとおして、だ。

時間と空間の障壁をやすやすと飛び越えて、聖霊は、神から人間に、注がれている。

たとえ人間が、どんなに神から遠く離れていても、神は狙いを定めて聖霊を送り、聖霊は一瞬で、人間の中に入って来る、人間に浸透する、神の命を、神の愛を、人間にもたらす *。

これは、神にしかできないことだよね。親は、遠くにいる子どもに仕送りはできても、命までは与えられないから。でも、神にはそれが、できるのだ。

註)
*  Cf. ローマ 5:5

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?