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心に刺さる詩編の言葉

今朝の『教会の祈り』(時課)で読むように指定されている詩編77編が、心に刺さる。。。

  わたしは神に叫びをあげる。
  わたしの叫び声を神は聞かれる。
  苦悩の日々、わたしは主を尋ね求め、
  夜も、たゆまず祈ったのに、慰められなかった。

心が痛いよ。。。だって、夜のあいだ一睡もせずに祈ったのに、ぜんぜん心は慰められないまま、朝を迎えてしまった、というのだから。

  わたしは神を思って、嘆き疲れ、
  神を求めて わたしの心は弱りはてる。
  わたしは眠ることもできず、
  思いなやみ、ものも言えない。

一睡もせずに祈ったというのは。。。実は眠れなかったからなんだ。悲しみのあまり、眠ることができないから、だから、祈るしかなかったんだ。でも、祈ろうにも、悩みを言語化できない。。。ものも言えない。。。それほどの悩み。。。

  昔の日々をしのび、
  過ぎ去った年月を思う。
  夜どおし 心に思い起し、
  思いつめて自分に問いかける。

眠れない夜中に、過去にあった出来事を、考えれば、考えるほど、極端な考えばかり心を占めてしまう。。。思いが、煮詰まっていってしまう。思考が、自分を袋小路に追いつめていってしまう。。。

 「主は とこしえに わたしたちを見捨て、
  もう目をかけてくださらないのだろうか。
  そのいつくしみは絶え、
  約束は代々に忘れ去られたのだろうか。
  神は あわれみを隠し、
  怒りのあまり いつくしみを閉ざされたのだろうか。」

心が慰められないから、とうとう、神の愛まで、疑い始めてしまう。。。

  わたしは思う。
 「すべてを越えるかたが力を隠しておられる。
  これが わたしの心の痛手。」

心が痛いのは、神がいるはずなのに、神が姿を隠していて、ちっとも助けてくれるように思えないから。。。

。。。という、すごいネガティブな詩編だ。

『教会の祈り』は、ときどき、こういうネガティブな詩編を、朝いちばんに読むように指定してくる。

気分が上々のとき、ネガティブな詩編は、うわっつらだけ、すらすら読み飛ばしてしまう。。。気分がチューンしないからだ。

でも、心が落ち込んでいるとき。。。気分が低空飛行のとき。。。そういうときに、ネガティブな詩編が提示されると、もうね、心が300パーセントぐらいチューンされてしまって、言葉が、心に刺さりまくる。。。

そうだ。開き直って、それが、わたしの現実だ。それを、認める。

その上で、神は、そういう現実を、このように、聖書の詩編のなかに、しっかり書き込むことによって、「オレはお前の気持ちを、ちゃんと受け止めているよ!」と、暗黙のメッセージを送っていてくれる。

今日の聖書の言葉。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:10 新共同訳

『朝の祈り』(時課)を読むタイミングで iPhone に配信されてくる、YouVersion の「今日の聖書の言葉」が、さきほどの詩編77編と絶妙に響き合っている。。。わたしの魂のなかで。。。



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