なくなるもの、なくならないもの。。。
かたちあるものはいずれ、あるいは、すぐ壊れていくよね。
【事例その1】
同僚があたらしい iPhone を買って、うきうきしていた。で、ゲストといっしょに外で記念撮影することに。iPhone をかまえ「ハイ、チーズ」というタイミングでつるっと手がすべって落ちて行った先はなんと石畳だった。。。
【事例その2】
化繊のスーツを買ってよろこんで着ていた。ある日ワードローブから取り出してみると、あれっ? これ、もしかして、虫食い? 化繊だから大丈夫だろうって、すっかり油断してた。。。
【事例その3】
最近なんだか目が疲れたなあ。。。眼精疲労には目玉の体操がいいよ、って聞いたから、目玉を上下左右にぐるぐる動かすことしきり。楽しくてずっとやっていた。数日後なんかあちこち蚊が飛んでいるように見える? 急激に目玉を動かすと網膜と血管がはがれ、血のかたまりができて飛蚊症になることがあるらしい。コワくなって眼科を受診したら「加齢によるものですねー。仕方がないです」だって。。。
今日の聖書の言葉。
持ち物も服も身体も、どんなに注意し大切にしていても、ひょんなことから、きずつき、ふるび、すりきれ、なくなっていく。。。
なくなっていくものに心のフォーカスを置いて生きていると、いつまでも不安や心配は尽きないし、なくなったときの喪失感はたまらない。。。
しかし、一回こわれてしまって、その上でよみがえって、そのあとは永遠になくならないというものが、非常にまれではあるがあることはある。
それがイエス・キリストだ。
イエスは十字架にかかり死んで墓に葬られ三日目に死者の中から復活し、いまも生きている、永遠の存在だ。
自分は心のフォーカスをいつもこのイエスの上に置いて生きていたいと思っている。
そうすることによって「なにか」が無くなって行くことへの不安感から、自由でいることができるからだ。
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