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恐れから解放するもの

聖書を読むと、恐ろしいことが、けっこう書いてある。旧約聖書の最初からずっと読み始めて行くとしたら。。。

登場してくる人物たちがやらかす、あれや、これやが恐ろしい。。。

さらに、不埒な人間の振る舞いに怒った神が与える報復の、あれや、これやが恐ろしい。いちばん恐ろしいのは大洪水だ。。。

それより恐ろしいのは、神を信じて生きていれば、恐ろしい目に遭わずに済むのかと思いきや、読み進んで行ってヨブ記まで来ると、そんな簡単な話ではないことがわかる。それは、義人(神の御心に完全に適った人間)こそが、恐ろしい目に遭うことがある、という冷たい事実だ。ショックだ。。。

頭を抱えながら、詩編を読み進めて行くと、恐ろしい目に遭って叫び悲しむ「嘆きの詩編」が心に刺さる。嘆きっぱなしで、ぜんぜん回収されない詩編すら、ある。詩編88編とか。

わたしは若い時から苦しんで来ました。
今は、死を待ちます。
あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています。
。。。愛する者も友も
あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。
今、わたしに親しいのは暗闇だけです。
詩編 88:16, 19 新共同訳

賢人たちが記した箴言においては、ありがたいことに、人生で恐ろしい目に遭わないための回避術と、にもかかわらず、恐ろしい目に遭ってしまった場合の対処術が紹介されるものの、同じく賢人の書であるコヘレト書に至っては、恐ろしい目から逃れるすべは無いものと諦めよ、みたいなことを言って来る。

この空しい人生の日々に
わたしはすべてを見極めた。
善人がその善のゆえに滅びることもあり
悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
箴言 7:15 新共同訳

預言書では、恐ろしいことを行い続ける人間たちへの、神の恐ろしい報復が描かれ、そして、人々に災忌を警告する使命を遂行したがために、人々の怒りを買って恐ろしい目に遭わされる預言者たちの姿が、これまた、恐ろしい。。。

もうね、恐ろしいことの連続につぐ連続。。。殺人、暴力、大洪水、戦争、飢饉、詐欺、奴隷、疫病、暴虐、謀略、暗殺、捕囚、滅亡。。。

まるで、人類が現実に経験する、あらゆる恐ろしいことを、聖書は網羅しようとするかのようだ。

今日の聖書の言葉。

愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。
ヨハネの手紙一 4:18 新共同訳

恐ろしいことずくめの中で、異彩を放っているのが、イザヤ書の「苦難のしもべ」の描写だと思う。

そこでは「苦難のしもべ」という象徴的人物が、人類のあらゆる災忌をぜんぶ身代わりに引き受けて、死ぬんだけれど、彼の恐ろしい苦痛によって、人類は救われ、いやされる、というんだ。

彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた

イザヤ 53:4-5 新共同訳

自分はクリスチャンなので、このイザヤ書で描かれている「苦難のしもべ」は、イエス・キリストを指している、と信じている。

不埒な人間の振る舞いに対する神の怒り。。。人間の愚かさによって引き起こされる災忌。。。それらがわたしたちにもたらす恐れ、不安、絶望。。。それらすべてを、イエスは身代わりに引き受けることによって、わたしたちを恐れから解放してくださった。

憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました
エフェソの信徒への手紙 2:4-6 新共同訳

このコロナ禍のなかで、だからこそ、恐れずに生きて行きたいと思う。


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