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暗闇の中で輝いて生きるためには、どうしたらいいのか。。。

イギリスは、コロナの死者が一日あたり1500人を超過して医療体制が危機的状況になっている。外出すると逮捕される非常に強制力のつよいロックダウンが発令されているのに、勢いが止まらない。

やはり強制力のつよいロックダウンを発令中のドイツでも、一日の死者が1000人を突破。このため政府が市民に、不織布マスクではなく医療用マスクを着用するよう義務づける事態になっている。

こういう暗い世相のなかで希望をもって前向きに生きるのは、ほんとうに難しい。けれど、人類は過去に何度もこういう事態を生き延びてきたはず。

暗い世相のなかで輝いていた人たちは何を考えどう生きたのか。それは、文書に残されリソースとして後世に伝わっている。それが、古典と呼ばれる人類の遺産なんだと思う。

そういう古典のひとつに『キリストにならいて』がある。「デヴォーティオ・モデルナ」(新しい信仰)と呼ばれるムーブメントを生きた代表的な人物、トマス・ア・ケンピスが書いたとされる本だ。

今日の聖書の言葉。

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
マタイによる福音書 5:14 新共同訳

トマス・ア・ケンピスが生きた時代、ヨーロッパはペスト禍の最中だった。彼が死没した1471年にはイギリスで40万人がペストで死んでいる。

そういう暗い世相のなか、彼はこのようにキリストに祈った。

どうか、あなたの御前にいますことから
私を全身の熱意に燃えさせ、焼き尽くし
私をあなたにお変えくださいますよう

私が内面における合一の恵みによって
また
火のような熱愛のための融合によって
あなたとひとつの霊に化すことが
できますように

『キリストにならいて』第4巻16章に記されている祈りだ *¹。

この祈りのすごいところは、キリストの臨在。。。イエス・キリストは信じる者と、いつでも・どこでも・たえず一緒にいてくれる、と聖書は言っている *²。。。そのキリストに触れるとき「私」という存在は神の愛の炎によって燃やされ、その結果「私」はキリストと合一し、ひとつの霊となり、「私」はキリストに変えられる、というところだ *³。

これは、受け取り方を間違えると、教会の当局から「汎神論の異端」と断罪されかねない表現なんだけど、そこらへんは「本質においてキリストに変えられる、という意味ではなく、本性においてキリストの性質にあずかる、という意味です!」と補足することによって誤解を免れた。

じゃあ、本質と本性の違いって何よ? というギモンは、こちらをどうぞ → 徹底解説 2つの違い「本質と本性の違い」

状況が暗くなればなるほど、自分の意識は自分に向けられて行く。考えることと言えば、自分は~、自分が~、自分の~、自分に~、自分を~、ばっかりになって行くよね。トマス・ア・ケンピスとほぼ同時代の匿名の修道士が書いた『ドイツ神学』のなかでは「私は・私が・私の・私に・私を」こそが問題だ、と指摘している *⁴。

でも、神の愛にとらえられるとき、自分は自分を忘れて神の愛のすばらしさに魅了されてしまう。愛によって自分を抜け出すことができるんだ。

人生という自動車のギアを、自分は~、自分が~、自分の~、自分に~、自分を~、という五段活用から、愛は~、愛が~、愛の~、愛に~、愛を~、という五段活用にシフトチェンジできたら、どんなに心が楽になるだろう、と想像する。

想像しながら、おぼつかない手で心のギアをチェンジしてみる。。。

註)
*1.  トマス・ア・ケンピス、大沢・呉訳『キリストにならいて』岩波文庫、267ページ。
*2.  Cf. マタイ 28:20
*3.  Cf. コリント一 6:17, ガラテヤ 2:20
*4.  著者不詳、山内貞男訳『ドイツ神学』創文社、29-30ページ。

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