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信じる仲間がつどう時に起こること。

コロナ禍のインパクトによって、これから世界はどう変化するんだろう?

なんとなく見えてきたこともあるし、まだ不確実で見通せないこともある。

たぶん、中世のペスト禍があたえたのと同じ程度のインパクトがあるんじゃないか、とは、想像できる。というか、見通せないから、想像するしかないんだけど。。。

教皇が十字軍を呼びかけた当時は、北欧系のノルマン人たちが地中海で暴れまわり、イタリアの南半分なんか、しっちゃかめっちゃかになっていた。なので、エネルギーがあり余るノルマン人を十字軍に行かせて厄介払いしたい、というのが、教皇の本音だったんじゃないかなあ、と思う。

その十字軍が持ち帰ったペストで、ヨーロッパの人口の半分以上が死滅することに。。。

封建社会の「お殿さま」である領主たち。。。騎士である彼らは、十字軍から生きて帰っても、バタバタとペストで倒れて行った。領主たちは没落し、反比例して、農民たちが強くなり。。。だって、生き残った少ない農民は、社会を支える貴重な「宝」だから。。。農民たちは賦役(強制労働)から解放されて、地代を貨幣で納めれば良いことになり、そこから社会は物々交換ではなく貨幣で回るようになり、勤勉に働く農民は貯めた貨幣で自由の身を買い取って、晴れて「独立自営農民」となった。

独立自営農民は、商才たくましく、農地をどんどん広げ、富を蓄積し、やがて彼らは「ジェントリー」(郷土の紳士)と呼ばれるようになって、その富で投機や投資を推し進め、商売をもっとやり易くするために、国政に進出し、庶民院議員になって、国の仕組みまで変えて行った。

今日の聖書の言葉。

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
詩編 46:2 新共同訳

生きているかぎり、苦難を完全に逃れられる保証は、無い。

今日の詩編だって、すぐ続きには、こう言っているんだもの。

わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。
詩編 46:3-4 新共同訳

地が姿を変え、山々が海に移り、海の水が沸騰し、山々が震える。。。

そういうことが起きるかもしれない。いや、起きる。。。

でも、たとえ起きたとしても、神に信頼するなら、生きる希望が必ず生まれる、ということなんだと思う。

中世のペスト禍で圧倒的に死んだのは、男性だったらしい。そもそも生物学的に弱いから?

なので、大量に未亡人が発生してしまった。。。当時は彼女たちを支える仕組みが無かった。。。だから、未亡人たちは、自分たちで集まって、新しいコミュニティーを作り出すしかなかった。

ベギンと呼ばれるそれは、未亡人たちが一緒に祈り、聖書を読み、助け合って生活する共同体。でも、修道院のように社会から隔絶するのではなく、町の真ん中に「ベギンホフ」という家を作って、そこに住みながら、町の貧しい人たち、病人たち、ペストの患者たちの世話をした *。

家も、夫も、生活も失った彼女たち。。。

でも、一冊の聖書をかこみ、それを読み、祈り、励まし合い、助け合って生き始めた時、彼女たちは「新しい主体性」を獲得して、生き生きと輝いていった。

その姿は、男性の生き方まで変えた。ベギンの生き方に影響を受けた男性たちが、それに倣うように「共同生活の兄弟団」や「神の友」と呼ばれるコミュニティーを作って、それがライン川の下流地域に広がったんだ。

ベギンホフ、共同生活の兄弟団、神の友。。。その関りから、タウラー、フローテ、トマス・ア・ケンピス、『ドイツ神学』を書いた匿名の修道士、エラスムスなどが現れ、「新しい信仰」(Devotio Moderna)と呼ばれるその流れは、宗教改革という新しいチャプターを開くことになる。

そのスピリチュアリティ(霊性)の特徴は、たとえ自分を取り巻く状況がどんなに絶望的になっても、一冊の開かれた聖書の上で、祈りによって神と直接つながり、仲間たちと手をたずさえて生きる、というスタイルなんじゃないかと思う。

ペスト禍のなかで人間の主体性を取り戻させたこのスタイルは、きっと、コロナ禍でも通用するに違いない。

註)
*  この記事のトップ画像は、アムステルダムにある「ベギンホフ」(Begijnhof)だ。

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