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敵を愛することは、できるのか?

ものごとの明るい面をみつけて生きよう、と思っても、暗い面ばかり目が行ってしまう。。。

危険を察知して生き残るよう、本能でそうなってるのかもしれない。

みんなの注意を喚起して、団結して危険に立ち向かうために、「敵」というレッテルを便利に使うこともある。

戦争とかでは、特にそうだ。

今日の聖書の言葉。

敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
マタイによる福音書 5:44 新共同訳

いったん「敵」と認定したら、全力で戦うしかない。だって、敵だもん。

だけど、戦いを終えたとき、和解して親友になることが、絶対ないわけではない。

かつて淵田美津雄という軍人がいた。海軍航空隊長として真珠湾攻撃を指揮し、アメリカ太平洋艦隊が炎に包まれるのを見て「トラ・トラ・トラ」(我レ奇襲ニ成功セリ)をモールス信号で送信したひと。四年にわたって日本とアメリカは血で血を洗う戦いを繰り広げ、日本の無条件降伏で終わった。

敗戦後、淵田中佐は戦犯拘置所に囚われている戦友たちを訪ね歩いた。そこで中佐は不思議な話を耳にした。

こういう話だ。。。

ひとりのアメリカ人の少女がしきりに戦犯拘置所を訪ねて来て、収容者たちに世話を焼いてくれる。なんでそんなに親切にしてくれるのか、収容者たちは、少女にわけを聞いた。

少女はこう説明した。。。

彼女は宣教師である両親とフィリピンに住んでいた。日本軍がやってきて占領したため、一家は難を避けて山奥に引っ越した。やがてフィリピン奪還のためアメリカ軍が上陸した。日本軍は山奥に退き、そこで一家は見つかってしまった。両親はスパイ容疑で逮捕され、銃殺刑に処されることになった。

銃口を前にして、少女の両親は言った。

聖書を読んでお祈りする時間を30分だけください

よかろう、ということで、両親は30分のあいだ祈りをささげ、それから、少女が見ている前で、銃殺された。

その晩、少女は泣きはらし、心は日本人への憎しみであふれた。でも、ふと考えた。。。あの30分間、両親は何を祈ったんだろう? そこに思いが及んだとき、キリストが十字架上でささげた祈り~「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分のしていることがわからないのです」という祈りを、両親は自分の祈りとしてささげたのだ、と気づかされた *。

「だから、わたしは両親と同じように、イエスの心を自分の心として生きようと決心し、こうして戦犯拘置所を訪ねて奉仕しているのです」

。。。そう少女は言ったというのだ。これを聞いて、淵田中佐はたまげてしまった。それが、人間の考えが到底及ばない世界に思えたからだ。

同じ戦争で、アメリカは空母ホーネットに爆撃機B25を載せて接近し、日本に対する最初の爆撃を行った。16機のドゥーリットル爆撃隊は、東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸を空襲し、そこから日本海を越えて中国への脱出を試みた。しかし、パラシュートで中国に降りた搭乗員は全員、日本軍につかまってしまった。

第16番機の爆撃手として名古屋を攻撃したジェイコブ・デシェイザー軍曹も逮捕され、戦争犯罪人として終身刑を言い渡されて、東京と中国の収容所で禁固刑を受けた。独房の中で、デシェイザー軍曹は日本人への憎しみに心をたぎらせた。だがやがて、なぜ人類は憎み合うのか、という疑問に思いが及んだ。そこで、聖書を持ってる仲間から三週間だけ聖書を借りて読んだ。読み進むうち、キリストが十字架上でささげた祈り~「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分のしていることがわからないのです」という祈りに、心を打たれた。彼はクリスチャンとなり、イエスの心を自分の心として生きようと決心し、その日から、収容所の看守に敬意を払って接するようにした。デシェイザーと看守の心は通じ合い、友情が結ばれた。

戦争が終わって釈放されたデシェイザーは、アメリカへ帰って勉強し、宣教師となって日本に戻った。彼は『わたしは日本の捕虜だった』と題するトラクト(小冊子)を日本語で出し、街頭で配り続けた。そのトラクトを渋谷のハチ公前で淵田中佐が受け取った。トラクトを読み、いたく心を動かされた淵田中佐は、クリスチャンとなり、さらに牧師となった。

淵田とデシェイザーは昭和25年に会って、無二の親友となり、ふたりでアメリカ全土を巡ってイエス・キリストの福音を語り伝えた。

そんな奇跡みたいなことが、ほんとうに、あったのだ。

そうして、思わされた。。。たとえ全世界が暗闇に包まれるような日が、また来ることがあったとしても、そのたびに、暗闇の中から、光は、何度でも立ち現れるに違いない。。。

註)
*  Cf. ルカ 23:34

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