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クリスマス、その壮大なビジョン。
インクルーシブという考え方がある。
相反し対立する異なったもの同士が、その異なったままどちらも受け入れられてひとつにされること。
訳すとすると「包摂的」かな。。。
世界をながめると、どう考えても絶対に一致できないよなとタメ息が出てしまうほど価値観の違い、深刻な対立、激しい争いがあって、人々を分断している。
よく教会はインクルーシブ・コミュニティであるべきと言われるんだけど、それは理想であって、現実はなかなかむずかしいよね。。。
今日の聖書の言葉。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14 新共同訳
「神」と「肉」というのは考えてみればある意味、究極の対立概念なんじゃないかなと思う。
神は永遠で不変で至高で不朽で全知で全能である、というのに対して。。。
肉はもろく弱く限界があり衰え死んで消えていくものだから。
そういう肉なので、聖書も「肉によらず霊によって」とか「肉は神の国を受け継ぐことができない」とか「肉は死に、霊は生きる」とか、肉についてネガティブコメントを連発してるわけなんだけど * 。。。
でも、今日の聖書の言葉は大胆にも神と肉をひとつに結んでしまっているんだよね。。。
永遠の神がベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのわらの上にちいさな赤ちゃんとなって降り立った。神が肉となる。。。これってインクルーシブの極致じゃないかと思う。
イエス・キリストというパーソン(人格)のなかに神と肉がむすびあわされている。そこでは、無限と有限、永遠と一瞬、全能と無力、天と地が、それぞれの違いを保ったままひとつにされている。
その結果どうなるかというと。。。すべてのものがキリストのうちに包摂されてひとつになると言うんだ。
その壮大なビジョンが次の言葉に端的に表れている。
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
エフェソの信徒への手紙 1:10 新共同訳
世界をながめる。残念ながら、今日も世界は分断されている。。。
でも、信じて待ち続けたいと思う。
天にあるものも地にあるものも
キリストのもとに
ひとつにまとめられるのです
神が肉となったクリスマスの出来事によって、この壮大なビジョンはもうすでに実現し始めているんだから。
註)
* Cf. ガラテヤ 5:16-17, 6:8, コリント一 15:50, ローマ 8:5-6
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