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理想の王は、どこに?

政治というのは、人類の歴史のなかで、どのように生まれたんだろうね?

ひと、と、ひと、が集まって、助け合って生きようとするとき、意見を集約して、グループの意志を決定するプロセスが必要になる。

「長老」つまり、いちばん長生きのひとは、いろんなことを知っているから、長老に決定権を持たせる、というのが、最古のスタイルかもしれない。

でも、グループが別のグループと対立し、戦いになった場合は、勝ち抜かないといけないので、腕力と戦術に長けたひとが決定権を持つようになったんだと思う。そこから、戦士としての「王」が登場したんだろう。

今日の聖書の言葉。

栄光に輝く王とは誰か。
万軍の主、主こそ栄光に輝く王。
詩編 24:10 新共同訳

ところが「王」のなかには、悪政を行うひとがいるわけで。。。そこから、悪い王を倒し、新しい王を立てる、という、グループ内部の紛争が生じることになる。権力闘争だ。

旧約聖書には、そういう、長老~王~権力闘争~という流れが、追うように描かれている。サムエル記、列王記、歴代誌などだ。

権力闘争の発端は、たいがい嫉妬心だ。そして、嫉妬心を持たない人間は、いないわけで。。。だから、権力闘争は延々と繰り返され、みんな疲弊し、失望し、落胆して行く。。。

同時に「理想の王」への待望が、みんなの心に生まれて来る。

もちろん、理想の王なんて、簡単には、いない。。。でも、失望の種は尽きないから、理想の王への期待も、尽きない。。。

かくして、期待は、現実をつき抜けて、超自然的な待望となって行く。それが、旧約聖書の後半に出て来る「メシアへの待望」だ。

理想の王に求めること。それが良くあらわれているのが、詩編72編だ。

王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を
助けるものもない貧しい人を救いますように。
弱い人、乏しい人を憐れみ
乏しい人の命を救い
不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。
王の目に彼らの血が貴いものとされますように
詩編 72:12-14 新共同訳

理想の王は、ひとびとの命を、尊ぶ。そのために、王は、命を投げ出す。それは、王が、ひとびとのために、血を流す、ということだ。

王の目に彼らの血が貴いものとされますように

民が王のために血を流す、というのが、ふつうだろうけど、そうじゃなく、王が民のために血を流す、というのが「理想の王」なんだよね。。。これは、ふつうではないので、現実には、そんな王は、存在しないことになる。

でも、クリスチャンは、イエスが「理想の王」だと考える。

イエスは、すべての人間の罪を引き受けて、十字架にかかり、復活し、罪の赦しと永遠の命を、わたしたちに与えてくれた。

クリスチャンの政治家は、この「理想の王」であるイエスの言葉(聖書)に従って、政治を行おうと、心に誓う。大統領就任式とかで、政治家が聖書に手を置いて誓うのは、そういう意味があるんだ。

その誓いを、誠実に果たすことができるように、祈りたいと思う。

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