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技法、仕掛け、仕組み、秘訣、定石、裏技、知識、分別とか、じゃあなく、この通りの角を曲がったら、神に会うかもしれない、っていう話です。

生きているなかで「神に会う」という体験をすることが、ときどき、ある。

まあ、それは、主観的な体験ではあるので。。。

正確を期して言えば、神に会ったと自分が感じた、という「感覚」を持つことがある、という限度なのかもしれないけれど。。。

クリスチャン界隈では、そういう「神に会う」体験を、主の臨在に触れる、とか、主の栄光に触れる、とか、主の臨在にひたる、とか、いろんな言い方をする。

これがねー。。。ほんと、予期しないとき、思いがけないかたちで、起きるんだよね。「神に会う」ことが。。。

もう、だいぶ前になるんだけど。。。

日曜の礼拝に出席していたら、「証しあかし」の時間になって。。。自分が属している教会では、メンバーがみんなの前に立って、自分の信仰の体験をわかちあう時間のことを、あかし、って言うんだけれど。。。

その証しの時間に、ひとりのおばあさんが進み出て、「今日は証しに代えてハーモニカを吹きます」と言って、おもむろに演奏しはじめた。

それがねえ、すっごい下手なハーモニカだったんだけど。。。

だから、自分は正直に「へただなあ」と思ったんだけど。。。

ところが、次の瞬間、ドーン、って、まるで落ちて来たみたいに、神の臨在に包まれた自分がいた。

それは、まさに「神に会う」としか言いようがない感覚だった。

なので、自分は号泣しながら、こころのなかでこう言うしかなかった。

神よ。あなたにこうしてお会いできるとは思っていませんでした。あなたにお会いできると期待していなかった不信仰なわたしをお赦しください。。。って。

誤解のないように言っておくと、別に、おばあさんが神になったわけではなく(笑)

おばあさんの下手なハーモニカを聞いていたら、生ける神の臨在で空間が満たされた、としか言いようがない感覚に、自分がなった、ということだよ。

今日の聖書の言葉。

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば
主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
箴言 3:5-6 新共同訳

それは、生ける神に会う、としか言いようがない、すばらしい体験だったんだけれど。。。

じゃあ、その体験を、テクニック的にいつでも再現できるようなるか、って言うと。。。

自分の知識と分別で、それを準備して、再現しようとしてみるのであれば、必要な要素は三つ。。。

おばあさん、ハーモニカ、下手な演奏。。。

この三つがそろえば、またあの神の臨在がドーンって、降りて来るのか、どうか。。。

と言うと、そんなことはないわけであって。。。

だから、「神に会う」って、ほんと、一期一会いちごいちえなんだなあ、って思っている。

神には、思いがけないときに、思いがけない場所で、思いがけない方法で、会える。

技法とか、仕掛けとか、仕組みとか、秘訣とか、定石とか、裏技とか、知識とか、分別とか、じゃあ、ないんだよね。

それこそ、この通りの角を曲がったら、神に会うかもしれないんだ。

3歩あるいたその先を、常に期待して生きる。

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