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ドーンっ、って、言葉を食らう、というか、食らいたい。。。

18世紀のロシアの辺境の森にクマを友だちに暮らしている、ひとりの隠遁者がいたそうだ。

サロフの聖セラフィムというひと。

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彼はキリストに似た品性を持つ聖なるひとだったそうだ。

なので、いろんな悩みを抱えた人たちが森をかきわけ彼に会うためにはるばるやってきた。

自分のからだのこと。家族の問題。隣人とのトラブル。借金と貧困。怒りと苦々しい思い。無力感と絶望。地獄に落とされて当然の自分の罪深さ。。。

ほんとうに、いろんな悩みをたずさえて人々は、やってきた。

隠遁者は、人々の話をだまってじーっと聞いてから、口をひらいて、ただひとこと、こう言ったんだそうだ。

キリストは、よみがえられた!
ほんとうに、よみがえられた!

それだけ。ほんとうに、ただ、それだけ。。。*

今日の聖書の言葉。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」
ヨハネによる福音書 11:25 新共同訳

ありとあらゆる問題をかかえ悩みながら生きているわたしたち。

だから、必死に祈る。祈って、祈って、解決される問題もあるけれど、祈っても、祈っても、解決されないように見える問題もある。。。

で、そういう問題を抱えながら、ああ、このまま自分は死んでいくのかな、って、あきらめる、というか、断念しなければならない瞬間がいつか来るのかもしれない。。。嫌だけどさ。。。

そうして、自分が死んでしまうと、当然のことながら自分は終わる。

それだけじゃない。自分がかかえている問題も自分と共に終わる。。。それが、死、ということだ。墓の向こうにはわたしたちは何も持って行けないんだもの。

そして、その上で、これが、来るんだ。

キリストは、よみがえられた!
ほんとうに、よみがえられた!

死からよみがえったキリストは、わたしたちにこう約束している。

わたしを信じる者は、死んでも生きる

わたしたちが死を通って復活したとき、わたしたちはきっと気づくだろう。あの問題もこの問題、自分と共に終わってしまった、ということを。そして、いま自分はまっさらなあたらしい自分をキリストと共に生きている、っていうことを。

あのクマがいる森で、サロフの聖セラフィムから「ドーンっ」って衝撃の言葉をくらった悩み多きひとたちは、みんな忽然とすべてのことがわかって、満足して、そして、家に帰って行ったんだって。

註)
*  Хрїстóсъ воскрéсе! Воистину воскресе!
   (Christos voskrese! Voistinu voskrese!)

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