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ウィズコロナ時代の信仰③

さむくなって、またコロナの感染者が増えています。政府も緊急事態宣言をもう一回だすことを視野にいれて検討しはじめたみたいですね。

わたしたちは長期戦を覚悟しないといけないです。このウィズコロナ時代、どう信じていったらいいんでしょうか? 新約聖書のペトロの第一の手紙1章1節~8節から、考えてみましょう。

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「仮住まい」というのは、テント生活という意味です。ユダヤ人は毎年9月ごろ、仮庵の祭りを守ります。自宅の庭に仮小屋を作ったりテントを張ったりして1週間ぐらい過ごします。それは、むかしエジプトを脱出したイスラエルの民が、40年のあいだ荒野でテント生活したことを想い起こすためです。旅は人生。人生は旅。わたしたちクリスチャンの人生は、旅にたとえられます。地上の国をはなれ、神の国に向かって、わたしたちは日々前進しています。地上は安住の地ではありません。わたしたちは、地上の生活の、あれも、これも、あとにして、前に向かって進んで行かなければなりません。このコロナ禍で、わたしたちは、生きるために本質的に必要なものは、なんなのか、考えさせられています。身軽になりましょう。顔をまっすぐ神の国に向けましょう。地上の生活は、肉体もふくめて、テントである、と考えたらいいのではないでしょうか?

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コロナ禍で、あらゆることが不透明です。わたしたちは、人生という旅を前進したいと思っていますが、現状では、前進しているのか後退しているのか、見えません。しかし、聖書は「あなたは神によって選ばれた存在だ」と言っています。。。あなたの人生を始めたのは神である。神はあなたの人生に計画を持っている。その計画に基づいて、聖霊があなたの人生に働き、イエスの十字架の血潮があなたに注がれた。その結果、あなたの人生は完成されて、あなたは聖なる者となる。。。そのことを神はもう決めている、というのです。「わたし」が主語の人生から、「神」が主語の人生にシフトチェンジして行きましょう。

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「生き生きとした希望」が、わたしたちに与えられています。それは、イエス・キリストが死者の中から復活したという事実に基づいています。キリストに結ばれた者は、キリストが復活したように、世の終わりの日に復活する。そう聖書は約束しています *¹。それは、死を超えた希望です。この生き生きとした希望こそ、ウィズコロナ時代に最も必要な希望ではないでしょうか?

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コロナ禍によるロックダウンで、世界の経済活動がストップしました。安泰と思われていた大企業も、巨額の赤字を出して、存続があやぶまれています。株に投資をしているひとは、チャートを見ながら、生きた心地がしないのではないかと思います。しかし聖書は「決してしぼまない財産」がわたしたちに用意されている、と約束しています。わたしたちは、つねに変動するチャートを見て一喜一憂するのではなく、永遠にしぼまない天にある祝福という財産に目を向けて、生きることができます。そのとき、何物にも揺り動かされない平安を得ることができるのです。

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もしかしたら、世界の終わりが近いのではないか、という感覚を持つひとも、いるかもしれません。それを考えると、不安です。しかし聖書は、世界の終わりの時とは、わたしたちに完全な救いが与えられる時である、と言っています。そして、わたしたちが完全な救いを確実に受け取れるように、わたしたちは、いま「神の力によって守られている」というのです。神の力のあらわれ、それは、イエスを信じるわたしたちの信仰です。この信仰を持ち続けることによって、わたしたちは世の終わりの時に完全な救いを受け取ることができるのです。

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もし、わたしたちが、願ったとおり、求めたとおり、祈ったとおりの楽な人生を生きられたら、どんなに良いかと思います。でも、もし、欲しいものが何でも与えられる簡単な人生だったら、わたしたちは心も体もぶよぶよになってしまうでしょう。試練に遭うことによって、わたしたちは鍛えられて、イエス・キリストに似た品性、イエス・キリストに似たキャラクターに変えられます。なぜなら、イエス・キリストは十字架の道をとおって復活の栄光に到達されたからです。わたしたちがイエスに似たキャラクターに変えられるのだとしたら、試練はわたしたちの益になるのです。

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残念ながら、わたしたちはいまイエスを、この目で見ることはできません。たまに、幻視者(ビジョナリー)とよばれるひとが、肉眼でイエスを見る恵みにあずかることも、ないわけではありません。しかしそれは例外的です。イエスご自身は「見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)と言われました。たとえこの目で見なくても、イエスを信じるとき、わたしたちは心でイエスを感じます。なぜなら、イエスはわたしたちの心の中に来て、宿ってくださるからです *²。その結果、わたしたちは、わかるのです。自分が救われたこと、永遠の命を得たこと、イエスが共にいてくださることが、わかるのです。なぜわかるのか、と言えば、「わかるからわかるのだ」としか言いようのない主観的な世界です。それは確かに主観的な世界ですが、そこには、言葉で言い尽くせないすばらしい喜びが満ち溢れているのです。

祈り

天の父なる神さま。神の国をめざして旅しているわたしたちが、どうか人生に本質的に重要なことを見極める目を持ち、不要なものを手放し、身軽になって、生きることができますように。明日を見通せないときも、自分の人生は神の計画の中に置かれていて、確実に完成に向かっていると信じることができますように。キリストの復活によって、死を超え、墓を超えた希望が与えられているのですから、それをしっかり握って、自分のために天に備えられている「けっしてしぼむことのない財産」に望みを置くことができますように。いま経験している試練は、自分を鍛えてキリストに似た品性に変えてくれる機会として、ポジティブに受け止めさせてください。いまは見ていないけれど、見るかのように愛しているイエス・キリストが、再びおいでになる日を待ち望みつつ、喜びと希望にあふれて、今日を生きさせてください。主イエスの名によって祈ります。
アーメン

今日の聖書の言葉。

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
民数記 6:24 新共同訳

註)
*1.  Cf. テサロニケ一4:13-14
*2.  Cf. ヨハネ14:20, 黙示録3:20, コロサイ1:27, 2:10

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