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お隠れになった神に、隠れた所で会う、隠れた自分=ほんとうの自分

神は今日もテレビに登場しない。新聞に載らない。YouTubeに現れない。

神は今日も世界の後背に完全にお隠れになっている。

その神に、どうしたら会えるんだろう?

今日の聖書の言葉。

だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
マタイによる福音書 6:6 新共同訳

隠れたところ=他人の目のない場所=自分ひとりの場所

それが、隠れたところ、だ。

お隠れになっている神は、そういう、隠れたところにいる。

だから、神に会うには、隠れたところに行けばいいのだ。

なんで神は、隠れた場所で、会ってくれるんだろう?

たぶん。。。

神は、自分の外側、うわべ、他人に見せるポーズ、フリ、演技を見たいのではなく、ほんとうの姿を見たいんだと思う。

他人にけっして見せない、というか、見せられない、ほんとうの姿、気持ち、心の奥底にあるもの。

隠れたところにいる神は、隠れた場所で、それを、ぜーんぶ見てくれる。知ってくれる。受け止めてくれる。

そこでは、自分は神に対して外側だけ見せるわけにはいかない。神には、うわべ、ポーズ、フリ、演技は、通用しない。

隠れたところまで、まるっとお見通しの神だからねー。

神は、すべて見て、知って、そして、自分の良心を通して語りかけてくれる。

良心が痛むなら。。。隠れた場所で、自分は、悔い改めの祈りをささげなければならない。

良心が平安なら。。。隠れた場所で、自分は、感謝の祈りをささげなければならない。

良心が葛藤するなら。。。隠れた場所で、自分は、神の助けを祈り求めなけれならない。

神は今日もテレビに登場しない。新聞に載らない。YouTubeに現れない。

でも、わたしたちが隠れたところに行って、「主イエス・キリストの父なる神よ」と祈るなら、いつでも、神に会うことができるのだ。

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