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自分の中の報復感情をどうするのか。

やられたら、やりかえさないと、と、思ってしまう自分がいる。クリスチャンなのにね。。。

「右のほおを打たれたら、左のほおを差し出せ」* なんて、絶対に実行不可能な道徳律じゃん、と、どこか思ってる。そうであるから、「上着をとられたら、下着も、あげなさい」** なんて、は? なに、ふざけんてんの? と。

やられたら、やりかえせ、という原理にもとづいて、血で血をあらうあゆみを、いまにいたるまで、人類は続けている。

最初の戦いって、どういうふうにはじまったんだろう、と思ったりする。

おそらく、ひどいことをしてきた相手を、素手で殴り倒したんだろう。

で、殴られたやつは、こぶしが痛むのを嫌って、素手でなく、木の棒で殴り返したんだろう。

これに対して、木の棒に石をゆわえた「石斧」で、反撃したんだろう。

やがて、石よりとがったフリントに。フリントより切れる青銅に。青銅よりかたい鉄に。鉄剣をふせぐ鎧と兜と盾に。鎧と盾をつらぬく長槍に。長槍で密集した重装歩兵をけちらす騎兵に。騎兵が到達する前に弓を射かける長弓に。長弓より射程がながい鉄砲に。銃弾の飛距離をのばすためにマスケット銃がフュージリア銃をへてライフル銃に。ライフル銃を圧倒する機関銃に。機関銃の弾雨をさけるため、えんえんとはりめぐらせた塹壕に。塹壕と塹壕のあいだをうめつくす地雷原に。地雷原をこえて攻撃するための毒ガス、戦車、爆撃機に。爆撃機を打ち落とす戦闘機に。戦闘機を海へとはこぶ空母に。空母を沈めるための潜水艦に。潜水艦の母港をたたく都市爆撃に。都市爆撃を一発ですませるための核爆弾に。そして、核爆弾を大陸をこえて打ち込む大陸間弾道弾に。

こうして、ボタンをひとつ押せば、人類は絶滅するところまで、きた。やられたら、やりかえせ、の原理に沿って。

今日の聖書の言葉。

だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
テサロニケの信徒への手紙一 5:15 新共同訳

人類の歴史をみても、自分のなかの心の動きをみても、報復感情を抑え込む、というのは、ほんとうに難しい、と感じる。

でも、抑え込んでいかないと、人類も自分も、滅亡するのは、確かだよね。

第一次世界大戦が、あまりにひどい戦争だったので、十年後に、不戦条約がむすばれた。でも、不戦条約があるにもかかわらず、第二次世界大戦を防げなかった。なので、国連憲章により、人類史上はじめて、すべての戦争が違法とされた。

戦争は違法になったのに、現状、戦争は、なくなっていない。

それは、そうだよね。。。人類を構成している自分の心の中に、いま、こうして、報復感情が、存在するんだから。

なので、今日、いま、この瞬間、何度でも悔い改めて、ゆるしを実践しないといけないんだ。右のほおを打たれたら、左のほおを差し出す、とは、こういうふうにやるんだよ、と生き方で見せてくれたイエス・キリスト。その姿を、はるか遠く、目で追いながら。

註)
* Cf. マタイ 5:39
** Cf. マタイ 5:40

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