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そうだ、柳の木に、なろう。。。

一年前をふりかえると、ダイヤモンドプリンセス号が横浜を出て香港に向かったのが1月20日。その船内で発症者が出て、2月5日に横浜に戻ってきた船は、そのまま隔離の状態に。テレビやネットの連日の報道を見ながら、どことなく、自分は当事者ではない感覚でいたっけ。。。

同じタイミングで、感染が広がっていた武漢から邦人を救出する政府のチャーター便が、何度も飛んだ。

4月7日には緊急事態宣言が発令。自分の職場も在宅勤務体制になった。幸い前年からOffice365が導入されていたので、仕事も会議も国際会議も、すべてオンラインに移行できた。

一方で、自分の部署が担当する企画は、すべてキャンセル。一部はオンラインのイベントに切り替えられた。動画配信の経験がまったく無かった部員が、ゼロから手探りで作り上げて、いまは相当な水準まで上げてきている。

そんななか、同僚とは「終息まで少なくとも2年。下手したら3年」という会話はしていたけれど。。。

いま1年がたってみて。。。

覚悟してたつもりでも、やっぱり1年で終息する見込みは無い、という現実を目にすると、絵文字で言ったら orz という感覚。四文字熟語にすれば「意気消沈」という思いになる。

今日の聖書の言葉。

たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。
ガラテヤの信徒への手紙 6:9 新共同訳

上記の「飽きずに励んでいれば」という表現は、原語のギリシャ語では「メー・エクルオメノイ」(μὴ ἐκλυόμενοι)という言葉が使われていて、直訳すると「意気消沈しないでいれば」という意味だ。

意気消沈。。。うまくいかなくて、気持ちが落ち込み、元気がなくなり、意欲がなくなる。。。

コロナ禍では、ほんと、そういう気分になる。だって、やっていることの「結果」が見えにくいし、こういう状態が「いつ」おわるかも見通せないから。。。

でも、聖書は、意気消沈しないでいれば、かならず時が来て、結果を得られる、と約束している。

意気消沈しないでいれば
時が来て、実を刈り取ることになります

そのためにこそ、たゆまず善を行おう! と聖書は呼びかけている。

この「たゆまず」という表現。原語のギリシャ語は「メー・エカコーメン」(μὴ ἐκκακῶμεν)という言葉で、これも、やっぱり「意気消沈しないで」という意味なんだ。

すると、こう訳せることになる。。。

意気消沈しないで善を行いましょう
意気消沈しないでいれば

時が来て、実を刈り取ることになります

うまくいかなくて、気持ちが落ち込み、元気がなくなり、意欲がなくなる。。。けれど。。。

愛:今日も、ひとをいつくしみ、たいせつに思う気持ちを、忘れないでいよう。

喜び:ちいさなことのなかにも、楽しいことを見つけるようにしよう。

平和:争ったり自己主張したりするのを止めて、相手にできるかぎり合わせよう。

寛容:なるべく広い心で、ゆるやかに、どっしりかまえて、受け入れよう。

親切:好意をもってだれかのために、あれこれやってあげよう。

善意:悪意に解釈せずに、あー、きっと何かつらいことがあるんだろうな、と相手の事情を想像しよう。

誠実:うそをつかないで、自分に正直でいよう。

柔和:やられても、柳の木のように、しなやかに、右に左に身を避けよう。

節制:あんまり食べ過ぎないで、体重に気を付けよう。

こうやって「善」をリスト化してみたら、けっこう、やること、たくさんあるよね *。

ぜんぶ本気で取り組んだら、忙しくて、意気消沈している暇がないかもしれない。

とりあえず、オレは今日、柳の木になる!(笑)

註)
*  Cf. ガラテヤ 5:22-23

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23 新共同訳

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