忘れていた祈りの帰還
信じて、祈って、求めたけれど。。。そのようにはならなかった。。。
。。。という体験。クリスチャンなら、何度か経験したことがあるんじゃないかな、と思う。
自分の場合、6年越しで一生懸命取り組んだことが、願っていたような結果にはならず。。。神さま、どうしてですか、こんなに信じて、祈って、求めたのに、なぜ? という、絵文字であらわすと、ほんと orz というのがピッタリのような心境だった。
今日の聖書の言葉。
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
ヘブライ人への手紙 11:6 新共同訳
信じたとおりに、ならなかった。
だけど、信仰を捨てようとは、思わなかった。
なんでだろう。。。ほんと、ひどい気持ちの落ち込みを経験したけれど、きっと、イエスさまが首根っこをつかんでくれて、それ以上は沈まないようにしてくれてたのかもしれない。
その出来事があってから、7年が経過した。
いまとなってみると、驚くべきことに、あのとき信じて、祈って、求めていたことが、ぜーんぶ実現している光景を見させられている。願いがかなえられた!としか、言いようがない。
信じて、祈って、求めた「こと」が、勝手に自分が立てたスケジュールに合わせて、寸部も違わないタイミングで起きることが、ある。
信じて、祈って、求めた「こと」が、残念ながら、何ひとつかなえられなくて、だから、涙を流し、断念し、記憶から消し去って、年月が流れ、ほんとうに忘れていたのに、どういうわけだか突然、復活するかのように、ふってわいたかのように、天からくだって来たかのように、かなえられることも、ある。
神は、神だから、神が立てたスケジュールに沿って、動いている。それについて、だれも、早い、とか、遅いとか、とやかく言うことはできないんだ。だって、神なんだもの。神がすべてを決めるんだ。
しかし、神の耳は、わたしたちの祈りに、いつも開かれている。わたしたちがつぶやいた、どんな小さな祈り、願いも、神は聞き逃さない。神だから。
そして、神は冷たい、血の通わない機械ではないし、決まった通りにしか動かない変更不能な規則やルールではない。神は生きている人格で、心があり、だから、自由な意志を持っている。
神は、神の自由を、驚くべきことに、わたしたちのために行使して、わたしたちの小さな祈り、願いを聞き入れてくださる。まるで、宇宙を曲げるかのようにして。
その聞き入れてくださるときの「やり方」は、配慮に満ちている。
わたしたちが、イージーゴーイングな信仰、イケイケどんどんの信仰で、調子に乗りすぎて、その結果、とんでもない誤解をして、神のことを自分に都合よく使える便利な道具だと思いみなしてしまうことが無いように、そのために神は、わたしたちの自己中心の考え方を打ち砕いて、それこそ orz の体勢を経験させて、ぜーんぶ手放させて、そのタイミングをみはからって、神は「こと」を起こしてくださる。
そのとき、自分は、こう言うしかないんだ。神よ、あなたは、神です。。。
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