ありがとう、を言う、タイミング
中央線のインド、と呼ばれる、阿佐ヶ谷・高円寺・中野のあたりで、自分は生まれ育った。和田アキ子の歌では、なぜか、中野・阿佐ヶ谷・高円寺というオーダーだったけど、語感とリズムの問題だろうかね。
小学生のころ、隣家の大きなアパートに、広い芝生の前庭があって、夏には半裸のお兄さんたちがビーチデッキで日光浴してた。YMOを結成するまえの細野さん、坂本さん、高橋さんの三人だった。
駅前にいくと、仮面ライダーで死神博士を演じた天本英世さんが、ユダヤ教徒のキッパみたいな帽子に、地面をこするほど長いマントをなびかせて、ほんとに死神博士みたく闊歩してたから、出くわすたびに叫んで逃げてた。でも、永六輔さん司会の番組で、天本さんが同じような衣装でスペインの詩人 フェデリコ・ガルシーア・ロルカの詩を朗読する姿を見て、あー、あれは、死神博士じゃなくて、天本さんオリジナルのスタイルだったんだなー、逃げてごめんなさい、と思った。
中央線のオレンジ、総武線の黄色、東西線の銀の車両がながめられる場所にあった実家は、木造モルタルで、屋根はトタン張り。父親は、何年かおきに、はしごで屋根にあがって、自分でペンキを塗って、メンテナンスしてた。もちろん、素人が塗るわけだから、養生が不十分で、銀色のペンキのしたたりが、庭の雑木に点々としてた。。。自分が大人になって、見よう見まねで、猫の額ほどの木の板にペンキを塗ってみて、ぜんぜんうまく行かなくて、ため息ついて、二度とやるまいと思ったりして、それから、さらに年月がたって、メンテナンス関係の会議で回って来る、ペンキ工事の見積書を見て、ほんとうに、びっくりするぐらい、どれもおしなべて高いのを知っては、よく、父のことを思い出す。
今日の聖書の言葉。
主よ、わたしたちの神よ、 あなたこそ、 栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。 あなたは万物を造られ、 御心によって万物は存在し、 また創造されたからです。
ヨハネの黙示録 4:11 新共同訳
世の中が、何事もなく回っているのは、見えないところでメンテナンスしている人たちが、いるからなんだよね。
時間も生活も、あたりまえに流れて行くから、その、あたりまえを保障してくれている人たちのことを、気づかないまま、知らないまま、ありがとうを言えないまま、過ごしてしまっている。
父には、もっと、はっきり「ありがとう」と言えばよかったと思うけど、すでに世を去ってしまった。
しかし、宇宙のすべてを創造し、永遠のむかしから今日この瞬間まで、宇宙がきちんと回るようメンテナンスし続けている、永遠の父に対しては(つまり神に対しては)、私たちは、いつでも「ありがとう」と言うことができる。それが、神を賛美する、ということだと思う。
神は、どれほど苦心して世界をメンテナンスしているかを、人間の前に出てきてアピールすることは、ほぼ、ない。
少ない例外のひとつが、ヨブ記だけど。。。
ヨブ記38章から41章が、それ。おもしろいのは、ライオンの食欲をみたし、カラスにえさを与え、ロバ、馬、野牛、だちょう、鷹、ワシ、カバ、そして、巨竜レビヤタンの世話をしているのは、このオレだ、と神がアピールしていること。。。
いや、まってください、神様。。。あなたがメンテナンスしてる領域もボリュームも、ぜんぜん、そんなもんじゃないでしょ? と思う。きちんと全部網羅しようと思ったら、聖書に何万ページあっても、足りないだろう。
屋根にあがってペンキを塗ったのは、このオレだ、とは、父は自分にアピールしなかった。。。神も、そうだ。神は、神のしていることを、聖書のつつましい記述を別にして、ほとんど、まったく、なにもアピールしない。
だから、「ありがとう」と、ちゃんと神にむかって言う機会を、逃してはいけないと思うんだ。
いつよ? いま、でしょ?
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