自信は慢心の種
人間というものは生まれてから死ぬまで何かを学ぶものだ。
生まれて物心がつくまでは無垢ゆえに好奇心から”危険”や”群れでの生き方”を知らずに失敗したり危機に陥ったりすることもある。
だがその失敗や危機は幼く無垢ゆえと大人たちが許容し、手を差し伸べ教え導く。
ある程度、物心がついてくるとうっすらとした分別と自信が身につくため”できる”ことが楽しくなる。
実はこの時期、大人たちの信頼を少し得る時期でもあるため無謀なことをしやすい。
たとえば、階段の何段目から飛び降りることが出来るかとどんどん高い所から飛んで試して見たり、テレビや動画で見たバク転を試して見たりする。
また、大人たちを見て火の扱い方を覚えた子供が火遊びをすることもある。
これは”できる”気持ちだけで、その後に起こることを想定できないためだ。
そしてこの”できる”は失敗体験が少ない子供ほど根拠の無い自信を強めてしまい、より無謀なことをしやすい。
子供だから許されるのだが、大人がこれを引き摺るとどうなるだろうか。
慢心の強い大人ができ上がる。
あなたの周りにもいるのではないだろうか。
客観的に見て人よりも仕事ができないのに、何故か仕事ができる自信があり同僚や部下を見下すような人が。
子供の頃の”できる”を拗らせるとこういう人間ができあがるのだ。
では自信がなければ良いのかと言えば、そうでは無い。
良い仕事をするのに何故か自己評価が低く、上司の引き立てや昇進を断ってしまう人がこれに当たる。
ゆえに、自信というものには”適度”があることがわかる。
自信を持って物事を行うのは良い事だ。
ただ、自信だけしか持たずに物事を行うと上手くいかない経験がない事柄であればあるほど予測行動が甘くなるため、結果として失敗する危険性が高い。
だから、人間は生きていく上で幼いうちから適度に失敗をした方が良いと言えるだろう。
自信というものは人間を動かす原動力であると同時に慢心の種にもなる。自信があることはいい事ばかりではないのだ。
そして失敗の経験は慢心を抑えるストッパーの役割も果たしてくれるので、失敗が必ずしも悪いことではないというのとも併せて知っておいてほしい。
適度な自信を持って生きたいものだ。
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