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生きづらい人が世界を支えている

尊敬する亡き祖父の晩年の言葉「もっと楽に生きなさい」が最も心に刺さったのは、私が心を壊して寝食もできず、まともに動くことすらできない状態で涙が止まらなくなった時だった。

SNSや人のブログを読んでいると、その時のことをふと思い出すことが増えてきた。

私のような人が多いのか、はたまた世知辛せちがらい世の中がより一層辛くなったのかとぼんやり眺めている。

今となっては、大恩がある訳でも、大きな貸しがある訳でもない人やただの職場に対してなぜあれ程の義理立てをしていたのか皆目分からない。

それだけ私の精神が成長した、もしくは他人の領分に踏みいらなくなったのだろう。

あの経験があったからこそ、大概たいがいの事はどうでもいいと思えるようにもなったので、それはそれで良かったとすら思える。

ただし、その職場の元上司に対しては死んでも許す気はないと思っていたので、元上司が死んだがどうするか?と先輩から連絡を受けた時に「あぁそうですか」と返して通夜も葬式にも行かなかった。

先輩が電話口でたいそう驚いて返答にきゅうして息を詰まらせていたのを覚えている。
一緒に働いていたときには、それはもう全員の補佐を完璧にこなして全員を立てていた私だったから、そのようなことを言うとは思ってもみなかったのだろう。

相手は死んだのだからもう許してもよさそうなものだが、人の心というものは実に厄介で一度ついた傷は深ければ深いほど、その時に感じた感情を簡単には捨てられないし忘れられない。

私の心を深く切り裂いたのはあまりにも理不尽な一言だったから、強い怒りと深い恨みは自分が死んだとしても忘れないかもしれない。あの世で見つけたらあの世でも殴り掛かる気がしてならない。

とはいえ、ここまで怒ったり恨んだりしたのは人生で2人しかいないので、数多くの人間と相対してきた者としては白いカラスを見つけるくらいの確立だから、多い方ではないだろう。

元来、たいして腹も立たないし、腹が立ったとしても一過性の怒りしか湧かないので翌日にはだいたい許している。

さて、長い長い前置きをしたが本題に戻ろう。

人を振り回す人間は存在しているし、振り回される人間もいる。
振り回す人間は全く気付かないのだが、振り回される人間が居なければ「振り回す」は成立しなくなるので、こういう人間は全く仕事ができない。

経験則だけで言っているのではない。

少し想像して欲しい。
今、あなたは恋人と同棲をして、その相手が家事の一切を行ってくれているとする。
食事は席に着くだけで全てが用意され、席を離れると皿が片付けられる。
脱衣所で服を脱いで風呂に入ってみれば、汚れ物は洗濯され、風呂から上がれば着替え一式が準備されている。
寝る前にちょっと晩酌でもと思えば目の前によく冷えたグラスとビール、つまみまで出てくる。
そういえば明日は主張だったが財布の中身が心許無いと思案していると、目の前にそっといくらか包んだ封筒が。

そんな生活をしていた中で急に恋人が居なくなったらどうなるだろうか。

皿の場所がわからない。
冷蔵庫に何が入っているのか分からない。
スポンジはどれを使えばいいのか分からない。
洗剤のストックは?洗濯機の使い方は?洗濯の方法は?
そもそも服の場所が全く分からないし、通帳の暗証番号どころか通帳の場所も銀行カードやクレジットカードの場所も分からない。
ちゃちゃっと作って持ってきてくれたあのつまみはどうやって作るのか?

サッと考えただけでも、あなたは何もできない人間に成り下がっているだろう。

これを職場や学校に置き換えるといい。
「あなた」は振り回す人、「恋人」は振り回される人。

では振り回される人が職場や学校から居なくなったらどうなるだろうか。
残された振り回す人は何もできない。だから新たに振り回せる人を見繕ってそばに置こうとする。

振り回される人は縁の下の力持ちではあるが、それはあくまで振り回す人の下にいるからであって、上に立つつもりで動くか、動かしやすい人間を隠れ蓑にして動けば誰よりも有能になる可能性を秘めている。

振り回されるのが嫌だ、生きづらいと感じたらすぐに自分の能力を活かすことを考えるといい。
あなたは少なくとも振り回す人より能力は高いのだから。

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