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崩れるのはあっというま


久々に風呂釜の掃除をした。

風呂穴から5センチ上まで水を入れて、薬剤を入れるのだが、うっかりして水を5センチよりだいぶ多めに入れてしまった。

入れすぎた水が抜けるのをぼーっと眺めながら、水が溜まるのは時間掛かるのに抜くのはあっという間だなぁと感じた。
抜ける水を眺めながら、まるでお金と人間関係みたいだな、と、思ってしまった。

お金を貯めるのはあれだけ時間が掛かるのに、使うとこれまであったものが嘘みたいにあっという間に無くなる。
手にした満足感と引き換えに、あまりにも残酷すぎるくらいそれはあっけなく消えてゆく。

人間関係も、信頼関係を築くのは時間掛かるのに、崩れる時はあっという間に崩れる。
昨日まで笑ってくれていたのに、目すら合わず、まるでそこに私は存在していないかのような、あの感じ。


休職してから2ヶ月程経った。
休職当初よりも、自分が不安や焦燥感を感じやすくなるきっかけの把握が少しずつ出来るようになってきたお陰か、気分の波が以前よりも少し落ち着いてきた気がする。

仮に焦りや不安でいっぱいになって苦しくなっても、『あえてゆっくり行動してみる』と少し気持ちが落ち着く事が分かってきた。

例えば、歩いていたとしたら、あえて、よりゆっくり歩いてみる、だとか、やらなきゃいけない事があっても、あえて行動する前に一旦コーヒーを飲んでみるだとか。
そうすると、不思議と落ち着いてくる。
もちろん、これも休職しているからこそ出来る事なのだが。

そうして生活していくと、なぜ自分が休職に至ったのかようやく少しずつ分かったような気がした。

きっと一旦立ち止まりたかったんだと思う。
仕事をしていると、どうしても自分のペースで進められない。
自分が部署異動したくなくたって、プロジェクトの大幅な変更をしたくなくたって、勝手にどんどん進んでいく。
自分がそれを全く望んでいなくとも。自分が変わらなくとも、周りも勝手に変わっていってしまう。

明日が来て欲しくなくたって、寝れば朝になってしまう。
疲れてクタクタになって、とりあえずご飯を食べて、ベッドに寝転がりながらYouTubeを観る。
あっという間に日付なんて超えてしまう。
ああ、明日も仕事か。起きて支度して会社に行かなければ。

ある側面から見たら、当たり前の幸せとは尊いし、自分で稼いで衣食住満足して生活出来るだけでも有り難いのかもしれない。

でも、立ち止まりたかった。
考える時間も欲しかったのかもしれない。
心と身体は繋がっているからか、身体は悲鳴を上げた。だから、進めなくなり、立ち止まらざるを得なくなった。

生きていくのは泥臭い。綺麗事だけじゃ、やっぱり生きていけない。考えたくない。そう、考えたくない事でいっぱいになった。

休職当初はそんな自分を責めたり、比較して焦って落ち込んで更に何も出来なくなるというループ。

朝起きて会社に行って、仕事をして帰る。
当たり前と言われていた事が出来なくなった自分を何度も責めたし、羨ましいとさえ思った。

焦らなくてもいいと言う、周囲からの助言に頭では理解していても身体と心がついてゆかずうまく休めなかった。

そんな時に、あえて何もしない大切さ。
ソファーに座って目を瞑りながら、ゆっくりと呼吸をする。
今まで散々聞いてきた、『疲れた時はゆっくり休む』事の重要さをこれでもかと痛感している。

これもゆっくりしているお陰だと。
こんな風に思う事が出来るようになり、自分に勝手に課していた物を少しずつ剥がしていけたらいいなと思う。

綺麗になった風呂釜を眺めながら、そんな事をふと思った。

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