何が正しいかは立場や状況によって変わる。

おはようございます。この記事を書いているのは朝の八時で、まあ朝っぱらからやはりニュースはコロナ、コロナでニューヨークの株式市場も急落してストップになったりと世界中が混乱しているようです。

三月も半ばに入り本来ならな年度末真っ最中という所ですが、今年はコロナで会社と言うか社会全体も何か調子が出ないですね。とは言ってみたもののあと三週間で新年度が始まり、新社会人もスタートを切るわけです。

毎年、毎年この季節になって新社会人を見る度に思う事、言いたいことは学校と社会、会社と決定的に違うのは何が正しいかは立場や状況によって変わると言うことです。これまで社会に入るまで何が正しいかを決める判断材料はモラルや常識でしたが、社会、会社に入ればそれが上下関係、立場の違いによって変わり、それがモラルや常識の沿ったものではない事も多々あると言うことなんですよね。上司と部下、雇う方と雇われる方、お客様との関係・・自分がこれは間違っていると思っても正しいと決める権利は自分にはない、頭で考えても、間違っていると思っていることでもそれを上司なりお客様の指示なら承服しなければならないのが社会で、それが社会に生きる者の厳しさなんですよね。よく会社にこんな事で不満を抱き、上司が合わない、会社が合わない、転職だ、起業だと言って会社を辞める人がいますが、この原則はどの場所に行っても変わらない理不尽な事を言う上司もその経験えてそれに耐えて上司に昇りつめたのだと思うようになりました。これが社会人の我慢のしどころだと思います。

話は変わりますが、先日お亡くなりになった野村克也さんの言葉に自分の評価は自分が決めるものではない、他人が決めるものだという言葉が印象に残りました。この言葉の真意は自分の事は自分では分からない。他人の評価こそが正しいのだろうと思います。自分を客観視出来ることも社会人の重要な資質だと思います。

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