写真展「中平卓馬 火―氾濫」
東京国立現代美術館にて「中平卓馬 火―氾濫」展を拝見してきた。
中平卓馬氏は1960 年代末から70 年代半ばにかけ写真について実作と理論の両面において大きな足跡を記した写真家だ。恥ずかしながら僕はこの写真家を詳しく知らなかった。写真表現は「日常を非日常に捉え直す」そんな印象だった。
モノクロでしか写真を表現できない時代、あえて「写真との関連性から引き離し写真独自として作品成立させたい」と思わせる作品ばかりである。その代表的な作品が「provogue(プロボーグ)」だろう。
最初に飛び込んでくる衝撃。モノクロ写真の圧倒的な存在感、生々しさ。ありふれた日常を写真という洗礼を通じて「明と暗」対極の激しいコントラストを描き「本来写真のあるべき姿を取り戻す」といった挑戦が行われている。その独特な感性は「なぜ我々はここに存在しているのか」という挑発を写真に置き換えて迫って来る。そして誰もがそのことを放棄していたことを気づかさせるのだ。
当時、日本人は高度成長時代に突入していく。物が溢れることで孤独が増す矛盾。「本当の幸福とは?」とうすうす感じるようになる。だが人々はその事実から逃避していく。世界に溢れる戦争、貧困、差別。日本はどこへ向かっていくのか。ファインダーから覗く世界に中平卓馬は強く危機感を抱いたのではないだろうか。その「悲壮感」を写真で訴えることが最終手段だったのだろう。それは当時学生たちが火炎瓶や鉄パイプをもって大人たちに対抗したように。
彼は一度死に、そして蘇った
中平卓馬は写真を通じて我々を「挑発」した。
彼は写真を通じて日常を「告発」した。
彼が訴えたかった意思は届かなかった。彼が求めていた写真表現による警告および問題定義は「かっこいい写真」として違った形で纏められしまう。社会は豊かになり政治への関心は薄れ彼は写真による若者たちへの扇動は失敗に終わる。それはまるで革命前夜にはためいていた旗が突然その力を失ってしまったように。写真は独立性を失い大量消費のなかに埋もれる存在と成り代わっていった。写真本来に潜んでいる「告発」はそっと彼の手から失われてしまったのだ。
しかし彼は挑戦を止めなかった。「植物図鑑」という名の写真集を発表。新たな挑戦として縦構図で我々の社会を標本化するようにカテゴライズしたのだ。その形はprovogueとは違い、カラーで鮮明な写真でありブレや荒れを排除しありのままの姿として我々の思考を挑発してくる。また、評論「なぜ植物図鑑なのか」という写真論を展開していく。言葉ですら武器に変えて抗えていく。
しかし、新しい挑戦は突然終わりを告げる。彼は不慮の事故で記憶と言葉を失ってしまう。彼が構想していた写真世界は彼の手から離れてしまった。残念ながらその続きを見ることはできない。誰もが彼を「写真家として死んだ」と思った。そんな彼は言葉を失っても決してカメラだけは手放さなかった。もう一度カメラを持ちシャッターを切った。生きることを忘れていた彼は震える指先でシャッターを切った。彼は一度死に、そして蘇ったのだ。
彼は表現の変化とは
彼の過去の写真を振り返ると写真表現から滲む「惜別」を感じる。日常はいつの間にか時間の経過と共に忘却していく。写真と形を変えた時点で過去になり失われていく。我々はその存在を残そうとする。しかし中平卓馬は失われていく姿に対し「もう写真なんて撮りたくない。それは過去との惜別だから」そう捉えていたのではないか。惜別はすなわち「死」であり写真表現は生きていながらの死表現ではなかったのではないか。
蘇った彼は過去の自己表現を検証し否定するように新しい挑戦を続ける。懐かしい花を眺めるように沖縄の自然を撮り残した。それはまるで「まだ生きたい」と訴えているようだ。「死」という写真表現から「生きる」写真を選んだ。彼は写真を撮り続けることで「生と死」を悟った。僕は彼の写真遍歴を見てそう感じた。そう考えると彼は表現を変えながらして同じことを我々に伝えたかったのだ。
この写真展は厳密には写真展ではない。彼の生き方を展示されているのだ。一度彼の写真を間近で見てほしい。まるで感電したような感覚に襲われるはずだ。まだ写真が祈りに似た心揺さぶるものだった頃、定まらない月の満ち欠けのような表現をもって世界を告発した彼の功績を。まだ成熟しきれていない未世界を捉える写真たちの声を。
今でも中平卓馬は我々を「挑発」し続ける。
中平卓馬の写真をみて、あなたはどう思うだろうか。その答えをぜひ聞いてみたい。
企画展 「中平卓馬 火―氾濫」
https://www.momat.go.jp/exhibitions/556
2024年2月6日(土)〜4月7日(土)
東京国立現代美術館
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