「障害」は言い訳か?

最近発達障害界隈で話題になっているツイートが気になり、記事にしてみました。私自身も発達障害の当事者でもあるので、これは非常に気になる指摘でした。

「障害」というものについて改めて考えてみたいと思います。そのアイディアに基になる考え方としてWHOのICFを引用してみたいと思います。といってもICFとは何ぞや、ということになると思います。そのため、以下引用してみたいと思います。

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以下、株式会社リタリコのHPのICFに関する解説からの引用になります。(上記画像、以下の引用文)

https://h-navi.jp/column/article/35026130

ICFはInternational Classification of Functioning, disability and Healthの略で、日本語では国際生活機能分類と呼ばれています。2001年に世界保健機関(WHO)によって採択されました。ICFはその名にもある通り、人間の「生活機能」と「障害」を判断するための「分類」の仕方を示したものです。ここでいう「生活機能」とは簡単に言うと、「人が生きていくこと」を指しています。ご飯を食べたり運動をしたり、社会に参加したり、それらをする能力はすべて「生活機能」ということができます。これに対し、ICFでは「生活機能」が何らかの理由で制限されている状況を「障害」としています。心身機能に障害がある場合に加え、たとえば「コミュニケーションをとることが困難」な状況や、「仕事をすることができない」といった状況も、活動や参加に「障害」がある状況としてとらえられます。そんな「生活機能」と「障害」の状況を細かく分類分けして、示しているのがICFです。加えてICFでは、生活機能や障害の状況に影響を与える要素として「環境因子」と「個人因子」(※注1) を挙げ、「環境因子」も同じように分類分けをしています。つまり「生活機能」を作り上げている要因も分類分けすることで、「人が生きること」を広い視点から総合的に理解することを目指しているのです。

「障害」というと、何らかの身体・精神上の機能障害などをイメージされる方が多いと思いますが、ICFでは「生活機能の制限」が「障害」となっています。

ICIDHというICFの一つ前に提示された障害分類がありますが(恐らく、世間一般の障害に対する認識はICIDHの方が比較的近いのではないかと思います)「障害のマイナス面のみを捉えている。当事者が前向きに生きていくためのコーピング的な内容も含めるべき」「客観的な物事のみで捉えており、当事者の主観的な体験を無視している」「〜できない、〜の部分に不具合があるといった障害だけでなく、当事者の周囲の環境(支援状況など)なども含めて考えるべき」などの批判が行われICFが作られました。

以下ICIDHのモデル(障害保健福祉研究情報システムより引用)

https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n251/n251_01-01.html

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ざっくばらんな表現ではありますが、ICIDHからICFに移る中で、当事者の「障害」(属人的、マイナス面)のみ議論するモデルから、どんな支援があれば当事者は社会参加や様々な生活行動ができるか?など、当事者の周辺環境の調整を含めた議論ができるモデルに変化したと言えると思います。

冒頭の発達障害の話に戻りますが、ごまたん氏が一連のツイートから伝えたいことは「こんなに(当事者が)色んなことができるのになんで障害者を名乗るの?」ということではないでしょうか?

この疑問を考える際、ICFが参考になると思います。その当事者の方は、何も環境内に支援設定がない状態では、業務をうまく実行できなかったかもしれません。ごまたん氏がたまたま当事者の方の提案を受けいれ、環境内にチェックリストを設定するといった支援設定を実行したから最初から上手くいった、ということだったのではないかと思います。

そして、当事者の方だけでなく、他の社員も上手く行った、ということを考えると、当事者の方とごまたん氏が行ったことは、ある種の「ユニバーサルデザイン」的なものであったのではないかと思います。

このことを考えると、当事者の方の障害に関する一連のカミングアウトは「言い訳」ではなく、支援を求めるための「正当な」要求であり、たまたま他の社員がうまくいったという事実が当事者の支援要求の正当性を却って覆い隠してしまったのではないかと思います。

以上の考察から、私は「言い訳ではなかった」と結論付けました。




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