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生き方 稲盛和夫氏

初版2004年 
20年前の書籍がなぜ今の時代にも当てはまるのか
プロローグから驚かせられます

プロローグ

混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す

豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある
それは、多くの人が生きる意味や価値を見いだせず、人生の指針を見失っているからではないか
そういう時代にもっとも必要なのは、
「人間は何のために生きるのか」
まず、そのことに真正面から向き合い、生きる指針としての「哲学」の確立が必要

魂を磨いていくことが、この世を生きる意味

生きていくことは苦しいことの方が多いもの。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練
試練を「機会」としてとらえることができる人=そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていける

単純な原理原則が揺るぎない指針となる

人間が生まれながらに持っている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている
どのような哲学が必要なのかといえば、「人間として正しいかどうか」

人生の真理は懸命に働くことで体得できる

「精進」することの大切さ
精進とは、一生けん命働くこと、目前の仕事に脇目もふらず打ち込むこと。それが私たちの心を高め、人格を錬磨するためにもっとも大事

「考え方」を変えれば人生は180度変わる

人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

心に描いたものが実現するという宇宙の法則

よい心がけを忘れず、もてる能力を発揮し、つねに情熱を傾けていく。それが人生に大きな果実をもらたす秘訣であり、人生を成功に導く王道
まずは純粋できれいな心をもつことが、人間としての生き方を考えるうえで大前提

思いを実現させる

求めたものだけが手に入れるという人生の法則

「心が呼ばないものが自分に近づいてくるはずがない」
実現の射程内に呼び寄せられるものは自分の心が求めたものだけであり、まず思わなければ、かなうはずのこともかなわない

寝ても覚めても強烈に思いつづけることが大切

「まず思うこと」の大切さ
並みに思うのではなく、「すさまじく思う」ことが大切
一方は成功するが、一方は失敗に終わる。この違いは、願望の大きさ、高さ、深さ、熱さの差からきている
本気で何か新しいことをなそうとするなら、まずは強烈な思い、願望をもつことが不可欠

現実になる姿が「カラー」で見えているか

完成形がくっきりと見えるようになるまで、事前に物事を強く思い、深く考え、真剣に取り組まなくては、創造的な仕事や人生での成功はおぼつかない

すみずみまでイメージできれば実現できる

つねに理想形をめざしてやるべきで、そのためのプロセスとして「見えるまで考え抜く」、つまり思いの強さを持続することが必要
事前に明確に見ることのできたものは、最終的にはかならず手の切れるような完成形として実現できる

運命は自分の心次第という心理に気づく

運命というものは、私たちの生のうちに厳然として存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗いがたい「宿命」なのではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるもの。運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるもの

努力を積み重ねれば平凡は非凡に変わる

いたずらに明日を煩ったり、将来の見通しをたてることに汲々とするよりも、まずは今日一日を充実させることに力を注いだほうがいい。それが結局、夢を現実のものとする最善の道

あふれるほどの夢を描け、人生は大飛躍する

私たちはいくつになっても夢を語り、明るい未来の姿を描ける人間でありたい。夢を抱けない人には創造や成功がもたらされることはありませんし、人間的な成長もありません。なぜなら、夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことを通じて、人格は磨かれていく。そういう意味で、夢や思いというのは人生のジャンプ台である

原理原則から考える

人生も経営も原理原則はシンプルがいい

嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・
そういう子どものころ親や先生から教わったような人間として守るべき当然のルール、人生を生きるうえで先験的に知っているような、「当たり前」の規範に従って経営も行っていけばいい

自分の人生ドラマをどうプロデュースするか

真正面から困難に立ち向かい、自分を限界に追い込む。そういう心意気が、不可能だと思えた状況を打破し、クリエイティブな成果を生み出していく。その積み重ねこそが人生というドラマのシナリオに生命を吹き込み、現実のものとする

現場で汗をかかないと何事も身につかない

「知識より体得を重視する」
「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。
「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが、現場での経験

ただいま、このときを必死懸命に生きる

あふれるような熱意をもって、ど真剣に懸命にいまを生きること。
目の前のことに没頭して瞬間瞬間を余念なく充実させること。
それはまた明日や将来を切り開くことにも通じる

今日という一日を一生懸命に過ごすこと。どんなに壮大な目標を掲げてみても、日々の地味な仕事に真剣に向き合い、実績を積み重ねていかなければ成功はありえない。偉大な成果は堅実な努力の集積にほかならない
私たちの生命、私たちの人生は、価値ある偉大なもの

好きであればこそ。燃える人間になれる

成功する人というのは自分のやっていることにほれている人
仕事をとことん好きになれーそれが仕事を通して人生を豊かなものにしていく唯一の方法

自分に打ち勝ち前に進め、人生は大きく変わる

どんなときでも愚直なまでに真剣に物事に取り組み、真正面から困難にぶち当たっていく。それが、成功するための唯一の方法であり、私たちが日々心がけるべき原理原則
まじめ、ど真剣、懸命に仕事をするーこういってしまうと平凡に聞こえるかもしれないが、その平凡な言葉にこそ、人生の真理は隠されている

複雑な問題も解きほぐせばクリアに見えてくる

的確で公正な判断を下すためには、何よりクリーンな目でものを見ることが必要。そして瑣末な枝葉にとらわれず、問題の「根っこ」にまっすぐに目を向けてみること

心を磨き、高める

つねに内省せよ、人格を磨くことを忘れるな

人の上に立つリーダーにこそ才や弁でなく、明確な哲学を基軸とした「深沈厚重」の人格が求められる。謙虚な気持ち、内省する心。「私」を抑制する克己心、正義を重んじる勇気。あるいは自分を磨きつづける慈悲の心・・
ひと言でいえば、「人間として正しい生き方」を心がける人でなくてはならない

心を磨くために必要な「六つの精進」

私たちの人生とは、私たちの人間性を高めるためのプロセスにほかならない
生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいくことではないか
生の始まりよりは終わりの価値を高めることに、われわれの生の意義も目的もある。もっといえば、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがあり、生の本質があるのだ

①だれにも負けない努力をする
 人よりも多く研鑽する。それをひたむきに継続すること
②謙虚にして驕らず
 謙虚な心が幸福を呼び、魂を浄化させる
③反省ある日々を送る
 自省自戒して、改めるよう努める
④生きていることに感謝する
 どんな小さなことにも感謝する心を育てる
⑤善行、利他行を積む
 善を行い、他を利する、思いやりある行動を心がける
⑥感性的な悩みをしない
 後悔をしないようなくらい、全身全霊を傾けて取り組む

どんなときも「ありがとう」といえる準備をしておく

よいことと悪いことが織りなされていくのが人生というもの。だからよいにつけ、悪いにつけ、照る日も曇る日も変わらず感謝の念をもって生きること
そもそもいま自分が生きている、生かされている。そのことに対して感謝の心を抱くこと。
感謝の受け皿を、いつも意識的に自分の心に用意しておく

うれしいときは喜べ、素直な心が何よりも大切

感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親
素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促す

人を惑わせる「三毒」をいかに断ち切るか

「怒り」「欲望」「愚痴」を、仏教では「三毒」という
大事なのは、できるだけ「欲を離れる」こと
欲、すなわち私心を抑えることは、利他の心に近づくこと。この自分よりも他者の利を優先するという心は、人間のもつすべての徳のうちで特上、最善のものである

見ていないようで、人間のすること、思うことの理非曲直を神さまというものは実によく見ている。したがって成功を得る、あるいは成功を持続させるには、描く願望や情熱がきれいなものでなくてはならない

働く喜びは、この世に生きる最上の喜び

働くことで得られる喜びは格別であり、遊びや趣味ではけっして代替できない。まじめに一生懸命仕事に打ち込み、つらさや苦しさを超えて何かを成し遂げたときの達成感。それに代わる喜びはこの世にはない

お釈迦さまが説く「六波羅蜜」
①布施ー世のため人のために尽くす利他の心をもつこと
②持戒ー人間としてやってはならない悪しき行為を戒め、戒律を守ること
③精進ー何事にも一生懸命に取り組むこと
④忍辱ー苦難に負けず、耐え忍ぶこと
⑤禅定ーいっときの時間を見つけて、心を静めること
⑥智慧ー五つの修養に努めることによって、悟りの境地に達する

日々の労働によって心は磨かれる

日々の労働の中にこそ、心を磨き、高め、少しでも悟りに近づく道が存在している
私たちが自分の仕事を心から好きになり、だれにも負けない努力を払い、精魂込めてその仕事に取り組む。それを通じてーただそのことだけを通じてー私たちは生きることの意味や価値を学び、心を磨き、人格を練り上げて、人生の真理を体得することができる

労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう

人は仕事を通じて成長していくもの。自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む。それによって、よりいっそう自分の人生をすばらしいものにしていくことができる

利他の心で生きる

利他の心とは仏教でいう「他に善かれかし」という慈悲の心、キリスト今日でいう愛のこと

心の持ち方ひとつで地獄は極楽にもなる

他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなくてはならない

利他に徹すれば物事を見る視野も広がる

人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもする

いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよ

「個性教育」を重視するあまり、人間として身につけるべき最低限のルールやモラルをきちんと教えない。幼稚園でも「自由な教育」を標榜し、物心もつかない幼児たちを放任してしまう
まだ心身ともに成長過程にある少年期にこそ、「人間としてどう生きるべきか」を学び、じっくりと考える機会を与えることが必要なのではないか
また、学校教育では、働くことの意義=正しい職業観も指導すべき

宇宙の流れと調和する

人生をつかさどる見えざる大きな二つの力

人生には、それを大本で統御している二つの「見えざる手」
①運命
人はそれぞれ固有の運命をもってこの世に生まれ、それがどのようなものであるかを知ることができないまま、運命に導かれ、あるいは促されて人生を生きていく
②因果応報の法則
よいことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生まれる

運命と因果律。その二つの大きな原理がだれの人生をも支配している。運命を縦糸、因果応報の法則を横糸として、私たちの人生という布は織られている

大事なのは、因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということ
善きことを思い、善きことを行うことによって、運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で、自らの善思善行によって、運命を変えていける存在である

因果応報の法則を知れば運命も変えられる

善き思い、行いを重ねていけば、そこに因果応報の法則が働いて、私たちは運命に定められた以上の善き人生を生きることが可能

結果を焦るな、因果の帳尻はきちんと合う

因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果を焦らず、日ごろから倦まず弛まず、地道に善行を積み重ねるよう努めることが大切

宇宙の意思、創造主は何を望んで、  私たちをこの世に生み出したのか

生まれたときよりも少しでも善き心、美しい心になって死んでいくこと
生と死のはざまで善き思い、善き行いに努め、怠らず人格の陶冶に励み、そのことによって生の起点よりも終点における魂の品格をわずかなりとも高めること

不完全でもいい、精進を重ねることこそが尊い

戒めを十全には守れなくても守ろうとする気持ち
守らなくてはいけないと思う気持ち
守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち
そうした思いこそが大事であって、そのような心をもって毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことにつながり、救いにも通じる

神や仏は、あるいは宇宙の意志は、何事かをなした人を愛するのではありません。何事かをなそうと努める人を愛するのです。なそうとしてなせない、おのれの力の至らなさを反省し、また明日から、なそうと倦まず弛まず努める。そういう人こそを救ってくださる

心の中心に真理とつながる美しい「核」がある

人間の心は多重構造をしていて、同心円状にいくつかの層をなしている
①知性ー後天的に身につけた知識や論理
②感性ー五感や感情などの精神作用をつかさどる心
③本能ー肉体を維持するための欲望など
④魂 ー真我が現世での経験や業をまとったもの
⑤真我ー心の中心にあって核をなすもの

私たちは心の中心部に「真我」をもち、その周囲に「魂」をまとい、さらに魂の外側を本能が覆った状態でこの世に生まれる
そして成長するにつれて、その本能の外側に感性を形成し、さらに知性を備えるようになっていく

人のあるべき「生き方」をめざせ、明るい未来はそこにある

私たちは役割を認識し、人生において努めて魂を磨いていく義務がある。生まれてきたときより、少しでもきれいな魂になるために、つねに精進を重ねていかなければならない。それが、人間は何のために生きるかという問いに対する解答でもある

一生懸命働くこと、感謝の心を忘れないこと、善き思い、正しい行いに努めること、素直な反省心でいつも自分を律すること、日々の暮らしの中で心を磨き、人格を高めつづけること

そのような当たり前のことを一生懸命行っていくことに、まさに生きる意義があるし、それ以外に、人間としての「生き方」はないように思う

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