見出し画像

高橋茉琴伝 その1





自己紹介がまだでした!

高橋茉琴(たかはしまこと)

と申します。

母と、猫さん2匹と 先述の犬のモモさん🐕がおります。


普段はどちらかというと猫さんの方が人気なのですが、
前回記事のおかげでnoteでは犬さんの存在感の方がかなり大きくなってしまいました。笑

父は去年亡くなりました、またこんど書こうと思います。



演劇をしたり
津軽三味線を弾いたりしています。







演劇を始めたのは子供の頃🕺

学芸会で異様に張り切る私を見た学校の先生が勧めてくれて


小学3年生の時に児童劇団兼プロダクションに入り
演技、ダンス、バレエだの、日舞や所作、ボーカルやボイトレなど
めちゃくちゃ沢山詰め込まれました。


なんかラテンの、よくビールのCMで流れてた曲で激しめなジャズダンスの振り付けの内容とか

めためた厳しい日舞の先生の所作指導の間がずーーっと正座だったこととか

ストレッチで開脚ぺたーーを目指して頑張ってたら、『もっと巨乳だったらすぐ付くのにな!』と男性の先生に言われて小学生ながらに傷付いたこととか

色々覚えてます。


行ったオーディションの席が隣で仲良く喋ってた子が受かってショックだったり、
逆にミュージカル超初心者の私が大きなオーディション最終審査まで進んで仲間のお母さんに嫌味言われたり、

なんだか普通だったら関わらないような色んな競走の中で揉まれた気がします。
子役コワイ。

そんな中で、プロダクションの舞台公演に選抜されて子役として初舞台を踏みます。
なんかヘンテコな作品だったことだけ覚えてるな。

その辺から舞台を意識し始めました。


それに加えて、極めつけにガラスの仮面を読んでモロに影響を受けた私は、本格的に舞台女優を目指したくなり、演劇で有名な大学に進むために付属の中学受験を決意。

受験を決めたのは受験日の半年くらい前。笑
まあまあ偏差値の高い女子校だったのと

それまで絵ばっかり描いて授業全く聞かない系女子だった私は、普通よりも勉強ができなかったもので

そこから鬼のように勉強📚✍🏻

始めた当時は確か割り算すらできなかったもんなあ。笑

塾、塾、毎日塾!時々ロッテリア!(休憩時のご褒美)でした。



奇跡的に合格。
がんばった6年生のわたし。
あと両親。
あと先生たち。





こころの健康、からだの健康、というなんともざっくりとした校訓を掲げた女子中学校に入学。


同級生は驚くほど自主性が強い人達ばかりで

小学校の中では割と積極的な方だった私は
その中に見事に埋もれます。

圧倒されるほどのみんなの自主性に
ぽやぽやとついて行く。🐢

でも唯一、周りに負けない情熱を注いだのが、演劇でした。

演劇部に入ったのです。

音楽と演劇が有名な大学が付属なので、
中高演劇部も割と優秀でした。

脚本選びからはじまりスタッフもキャストも部員が全部やります。

キャストは公平なオーディション制。
オーディションする側は『幹部』と呼ばれる予めミーティングで決定された面子です。幹部は定期的に変わります。

オーディションの勝ち抜き率は、同級生の中では1番でした。
在学中でちょっとだけ誇れることです。

強めな意志を持って色々やってみると、伝わるものなのかもしれないです。

とにかく、『大学で演劇を学んで、舞台女優になるんだ私は!そのためにここにいるんだ!』って強く思ってました。

オーディションで役を勝ち取る度に
色んな役に出逢って
色んな壁にぶち当たって
色んな反応をもらって

どんどん演劇が好きになっていきました。

みんなでひとつの目標に向かって全力で突き進む感じが好きでした。

演劇に興味のない在校生が、演劇の時間を楽しんでくれるのが好きでした。



高校に進学して、大学が近付いてきたのをきっかけに、なにか特技が欲しいと考えるようになりました。

ぼけーっと考え、近くに長唄三味線を習ってる子がいたのを思い出し、『三味線』という言葉の美しさに惹かれて津軽三味線を習ってみることにしてみました。


これにめちゃくちゃハマった。


学校が終わって帰ってから毎日
5.6時間ぶっ通しで弾きまくりました。

よくその時間と体力があったなと今思います。笑

ポンポンポン、とことが運び
ちゃっかり紅白歌合戦やNHK等に出演するほどになりました。

今思えば、比較的努力が報われてきた中学高校生活でした。感謝。

思いがぶれることも無く 大学はエスカレーター🚶‍♀️スーッ


と思いきや!

なんと付属校なのに

普通に受験がある!

付属なのに付属じゃなかった〜👐** **



ところがどっこい

指定校推薦枠なるものが2枠だけあった!

運良く演劇部での実績と、三味線と、
あとなんか高校あたりから急に勉強が楽しくなっちまって成績がとても良かった私は
その推薦枠に入り込み、
無事合格となりました。よかったー。

早めに大学が決まった組の卒業までの特別授業では、女子校らしく調理実習しまくりました。

最強の栄養バランスだった食べ物は

ギョーザ🥟

困ったら、ギョーザ🥟


あとあと、学校の授業で行ったミュージカルに感動して、歌も習い始めました。


念願の短大(大学大学書いてましたが短大でした)に入学。

試練の連続。

2年間の中でこれまたいろんなことを叩き込まれます。

高校卒業前あたりから劇団四季受験も念頭に入れてたので、ミュージカル学科へ進学

多数の演技、ジャズダンス、バレエ、ショーダンス、ミュージカル唱歌、クラシック唱歌、日舞、タップダンス、狂言、コンテンポラリーダンス など実技系。

それに加えて色んな座学系。
演劇論とか、古典演劇とか、なんか、忘れたけど、チェーホフとか沢山読んだ!


全国から集まってきた同級生たちは実力者も多くて、高校でミュージカルやショーをやりまくるようなところから来た子達なんかはもう、全然ステージ慣れしてるし、

宝塚受験経験者なんてもう歌もバレエも超上級だし、

飛び抜けて美人な子なんて沢山いるし、いやみんなが美人過ぎて飛び抜けて美人な子も飛び抜けないレベルだし、それでいて実力者だし、

いろんな差にゴーン🔔となりながらも

時には負け
時には勝ち
時には授業サボり

商店街のお祭りで踊ったり三味線弾いたり

青春を全て、この学校と仲間に捧げました。

中高の部活の時みたいに
強い意志を持ってるだけじゃ到底太刀打ちできないような世界でした。

『なんでやってこなかったんだろう』
『なんでもっと早く出会えなかったんだろう』
何度も何度も思いました。

もっと上のステージに行きたい、
余裕でクリアできる自分になりたい、と

毎日毎日朝から晩まで必死だけど

そんな中でも全力で楽しかったし、
恋も失恋もする余力が沢山ありました!

若さ!♡


思い出すと苦酸っぱいような、でもちょっと甘いグレープフルーツみたいな短大生活だったかなあ🍊🍋本気で。



あの頃に戻りたいかって聞かれたら、
戻ってみてもいいかもしれない。

ってことは、大正解なルートの学生時代🙆‍♀️


そして、この短大で繋がった仲間や先輩、後輩と、後々まで色んなところで繋がり続けていくのです。


試演会、卒業公演をすったもんだしながらやり遂げ、

次のステップへ行くために
某ミュージカルアカデミーや
劇団四季のオーディションを受け
最終審査で脱落😭

子役時代お世話になったプロダクションに入所することに決まり、


学校は無事卒業。

ここまで学費を出して応援してくれた母へ心から感謝します。


学生時代

青春時代の閉幕です。






その2へ続く((((((っ´・ω・`)っ


ここまでお読みいただき
ありがとうございました!




次回は目指せ舞台女優実践編です。💃✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?