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宗教に戸惑った私と、母の道しるべ(前編)
今回の記事は療育とはあんまり関係のない、息子が小さかった頃私に起こった出来事です。もしお付き合いいただけたら嬉しいです。
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息子のことで悩み始めてから3歳になるくらいまでの頃、私はびっくりするくらい宗教的なものとご縁があった。
「引き寄せの法則」という言葉を耳にしたことがある方は多いと思う。
何かを求めたり、何かについて思うことでそのことに関連することが引き寄せられる、という法則。
私はあれは真実だと思っていて、実際「甘いものが食べたい!」と思った日においしいお菓子をいただいたりする。
それとか「あの人どうしているかなぁ。会いたいなぁ」とちらっと思っただけなのに、長年会っていなかった人と再会したり、その人の現在を風の便りで耳にしたりする。
そういう、すてきな「引き寄せ」はこのところ増えていて、私はそれがとても嬉しいことだと思っている。
でも、当時はそれとはちょっと違った趣のことによく遭遇した。
それは例えばこんな風。
家を出てほんの少し歩いたところで宗教の雑誌を手渡される。
公園に向かっているときに手かざしをされる。
息子がやっとお昼寝した!と思った途端玄関のチャイムが鳴って、
「おうちに何か困ったことは起きていませんか?」
とかなんとか、勧誘のお誘いがやってくる。
もう、やめてくれー、という感じ。
そしてそんな風に何か目に見えない、あんまり好まないカテゴリーに吸い寄せられているのかもしれない、となんとなく感じていた日々。
そして、なつかしい「まりおばちゃん」から急に連絡が入ったのも、ちょうどその頃だった。
「マコちゃん、お子さんふたりも産まれたんだってね。
おめでとう。元気にしてる?」
私は突然の電話に驚きつつも、懐かしさでいっぱいになった。
まりおばちゃんは私の遠縁にあたるかあたらないか、くらいの、関係性としてはとっても遠い親戚である。
だから私が小さな頃はほとんど会うことはなかった。
しかし私が中学生になった頃、学校から帰ってくると、たまたま、まりおばちゃんが息子の「たっくん」を連れて私の実家に遊びに来ていた。
たっくんは3歳の、とてもかわいい男の子だった。
私はその日、たっくんの子守を言い渡され一緒に公園に行ったのであるが、それ以来たっくんは私にえらくなついて、そしてその日をきっかけにしょっちゅう遊びに来るようになった。
たっくんはまりおばちゃんに「もう帰るよ」と言われると、泣いて嫌がった。
それで、まりおばちゃんはある時困り果ててこう言った。
「マコちゃん、よかったらうちでたっくんと一緒にご飯食べてくれない?」
そう言われてお邪魔したたっくんのおうちはとってもきれいで、まりおばちゃんに作ってもらう夕食はスペシャルお子様ランチで、私はとても嬉しかった。
まりおばちゃんはそれからしょっちゅう私を夕食に招いてくれて、私はたっくんと一緒によくごはんを食べた。
たくさん遊んだはずなのに、毎回私の帰り際にたっくんはべそをかいた。
そしてつぶらな瞳にいっぱい涙を浮かべてこう言った。
「マコちゃん...今度いつ遊びにくる...?」
本当にかわいい子だった。
私もたっくんに会うのがいつも楽しみだった。
まりおばちゃんはその頃、おみやげに、と手作りのアップルパイを持たせてくれたり、私を題材にした絵本を作って同人誌に投稿したりしてくれていた。
とても文化的で、心は少女みたいに純粋で、かわいい息子がいて、こんな人生っていいなと私はまりおばちゃんの暮らしに憧れていた。
その、まりおばちゃんからの突然の電話。
まりおばちゃんが一度遊びに行っていいかと訊いたので、私は二つ返事でOKした。そしてその日を楽しみにして待った。
しかし。
その約束の日、玄関に訪れたのは、まりおばちゃんだけではなかった。
知らないおばさんが2人も一緒だった。
「今日は、ちょっと3人でおじゃまさせてもらったの」
まりおばちゃんがそう言うので、とりあえず私はそのまま家に上がってもらった。
でも、頭の中は「?」がいっぱいだった。
私は慌てて湯呑みを3つ用意してお茶を出した。
息子がお昼寝してくれていたことが幸いだった。
3人の方々はハイテンションで世間話を繰り広げていた。
全く話の趣旨が見えない私。
しかし1人のおばさんが体調を崩した話を始めて、謎は徐々に解明された。
「そうそうそれで、もう本当にどん底だったんだけどね。
お経さんを毎日あげさせてもらっていたら、どんどんよくなってね。
今はもうなんともないの」
そのおばさんのその言葉にうんうんと頷く残り2名。
「お経さん」
そこから3人は自分たちの宗教がいかにすばらしく、世の中の真理であるかを語り始めた。
「あのね、この世に未練があって成仏できないご先祖さまがね、そのことに気がついて欲しくて、今生きてる私たちにいろんな困難を与える形で伝えようとしてるの」
とうとう息子が起きて泣き出した。
しかしここまで1時間は話を聞かされていたと思う。
当然の成り行きだった。
息子を寝室に連れに行き、抱っこして出てきた私に「わー、かわいい!」とまりおばちゃんは言って、その後すかさずこう続けた。
「ねぇ、マコちゃん、子育てのこととか、困ってることはない?」
私は返答に困った。
だって本当に子育てに困り果てていたから。
「...言葉がちょっと遅くて」
言わなきゃいいのに私はそう呟いてしまった。
だって、もうすぐ3歳になる息子が話さないのは、どうせすぐにわかってしまうことだったから。
私がうっかりそんなことを口走ってしまったために、そこからおばさんたちの会話はエスカレートした。
「言葉が遅いって...。
立ち入ったこと聞くようだけど、おじいちゃんおばあちゃんは何が原因で亡くなられたの?
癌、とかじゃないよね?
息子さん、他に病気は?」
それからお経さんのおかげで病気が治ったと話したおばさんはこんなことも言った。
「あのね、私入れないおうちとかあるの。
なんていうか、感じるものがあってね。
そのおうちに潜んでいるものがあんまり深刻だと、辛くなっておうちの中に入れないの。
でもこのおうちは入れたからきっと大丈夫だと思う。
これからの行い次第よ」
勝手に来ておいて、失礼な。なんだというのだ。
今ならそう思えるけれど、その時はただただ恐怖でしかなかった。
起きてすぐ知らない人がいてびっくりしたのか息子はますますひどく泣き出した。
あるいはドギマギ落ち着かない私の雰囲気を敏感に察知していたのかもしれない。
あるいは、息子こそ、おばさんたちから何か得体の知れないものを感じ取っていたのかもしれない(笑)。
泣いている息子と汗だくであやす私が目の前にいるのに、どんどん話を続けようとする3人。
私は辟易した。
パフオーマンスで何度もアピールしたが全然わかってくれないので、最後は「ごめんなさい、こどもの機嫌が悪いのでちょっと」
と、帰ってもらえるよう必死で促した。
急に静かになった家の中で、私の気持ちはどこまでも沈んだ。
まりおばちゃんはすっかり変わってしまった、と思った。
あんなに無神経に長居するような人ではなかったはずだ。
むしろ、誰よりも優しい気遣いのできる人だったはずだった。
「まりおばちゃん、どうしちゃったんだろう...」
私は息子をあやしながら、ぐるぐる頭の中をめぐらせた。
”お子さんの言葉が遅いとかそういうのはね、ご先祖さまがちゃんと気がついてほしいっていうメッセージなの。お経さんあげさせてもらってご先祖さまがラクになると、息子さんもどんどん変わっていくわよー”
そんなわけない。
そんなわけないではないか。
そう思いながらも、私の心はざわざわした。
”もし...もし本当にそのせいだったとしたら...コウちゃん、お経さんあげたらラクになるのかな...”
私は明らかに混乱していた。
(次回に続く。。。こんな長文、最後まで辛抱強く読んでいただいてありがとうございます!しかもまだ続きます笑)
いよいよイチョウの木も色づき出しましたね。
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