見出し画像

久しぶりにnoteに戻って来れました

昨年末に更新して以来、2ヶ月以上に渡って記事を書くことがストップしていました。

noteは

いい文章を書けなくても、細く長くでも籍を置き続けることが大事だよ

と、どなたかのnoterさんが言っておられたことを思い出します。

昨年秋にnoteを始めて、書くことが励みになっていた時間があり、
そしてその後、息子のことを含む色々な身辺の慌ただしさに巻き込まれました。
noteの1記事を書く時間もなかったのかな?と自分に問いかけると
それは決してそうでなはく、時間を探せばその時間くらい捻出することはできたのかもしれません。

でも、書けなかった。

思うに、「記事を書く」ということは、その一瞬だけのことではないのです。
例えば、運転中、例えばお皿を洗っている時、例えば、職場の廊下を歩いている時。
そんな時間に無意識に自分の書きたいことをひとつひとつ練り上げていく。
昔を思い出して、その頃どんな風に感じたか、今、どんなことを伝えたいと思っているか。
そんな地道な無意識の時間の集大成として「記事」があり、それは、長い思考の上に成り立つほんの一握りの作業。

だから、その無意識の時間が他のことに占領されてしまうと、私の場合は全くもって書けなくなってしまう。
私が今回感じたことが本当なら、世の文筆家と呼ばれている方々はきっと、生きて感じていることの全てを作家として経験しているのだろうなと思います。

今少し気持ちに余裕ができて、久しぶりにnoteを開けてはみたものの、やっぱり書けないなぁと画面を閉じることを何度も繰り返して、今日に至ります。
息子のこと、大切に丁寧に大きくしてきたつもりだったけれど、思春期に差し掛かり、てんかんも発症して、思うようにいかないことばかり。

noteを書き始めたきっかけは、息子の成長の記録を忘れてしまわないうちに留めておきたいと思ったこと、そしてゆっくりでもしっかり成長した息子の記事を読んで、誰かが元気を出してくれたらなと思ったこと。
でも、育児に行き詰まり、そして息子以外の身辺のこともたくさん考えていかないといけなくなって、書いていく方向性がうまく定まらなくなっていました。
誰かの役に立つ記事なんて、書けそうにもないなと。

そんな中、何を書きたいのかなぁと改めて考えてみました。
時間をかけてたどり着いたのは、やっぱり等身大でいいから、今の自分や息子のことを書いていきたいという率直な気持ちでした。
誰かの力になるようないい記事は書けないかもしれないけど、それでも、少なくとも自分を救うことはできるかもしれないと。

何にも書けないでいた間も、記事を読みにきてくださった方、スキをくれた方、ありがとうございます。
また書けなくなる日もあるかもしれないけれど、ゆっくりゆっくり再開します。

画像1

誕生日にいただいたお花。
まだまだ寒いけれど、春はもうすぐそこですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?