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てんかんの精密検査を終えて

待ちに待った…いや、かなり緊張して迎えた息子の検査入院(3泊4日)が終わった。

車で5時間?6時間?
休憩しながらではあるものの、長旅だった。
入院前の抗原検査もかなり緊張した。
これで陽性になってしまったら、入院せずに帰るしかない。
だから、「陰性です」と言われた時は心底ホッとした。

コウは、前泊の家族用宿泊等に入る時、嫌がって長いこと車から降りなかった。
よくわかっているんだなと胸がキューっとなった。

「ずっと一緒にいるから。
コウちゃん、これから倒れないですむように、お医者さんしっかり調べてくれるから」

何度も説得したけれどなかなか車から降りないコウ。
かなり時間が経って、ようやく無理矢理にパパにおんぶされて車から降りたコウ。
どれだけ不安だったんだろうかと思う。

病院に入院すると早々に長時間脳波の測定が始まった。
頭と僧帽筋のあたりに電極をたくさんつけて、脳波と行動の様子を記録。
電極を外してしまわないように頭全体を包帯でまきつけられたコウは、痛くないけどとても痛そうに見えた。
物々しい様子。

そして私は電極を外してしまわないかとヒヤヒヤ、コウから片時も離れず…正確には離れる時はナースコールを押した。
トイレに行く時くらいだったけど。

この長時間脳波、ずーっとカメラが回っている。
親の私も映っているから、死角になるところで着替えをしたり。
もちろん寝る姿もカメラに映される。
記録するためにはある程度部屋が明るくないといけないから、いつも暗闇で眠る私からしたら「ガンガンに電気のついた部屋」で眠るのは、かなりしんどかった。

これまでの何度かの入院では、コウは点滴を勝手に抜いてしまって血だらけになることが常だった。
しかし今回は違った。
コウは電極を頭に付ける最初の時こそソワソワしたものの、日中も夜も包帯を触ることなく、いざという時のルート確保のための点滴ルートを引き抜くこともしなかった。
今回の入院の意味、よーく、わかっていたのだと思う。

検査は、長時間脳波測定(2泊3日)の他にもいろいろあった。
尿検査、血液検査、MRI、他にも「スペクト」という検査で、脳血流と脳の機能面を調べてもらった。
コウはじっとしていられないから、スペクトとMRIは鎮静のお薬を使って。
スペクトの検査に入る前、テキパキとした女性の技師さんが私をリラックスさせるためか、たくさん話をしてくれた。

「この検査機器は、日本に数台しかないんです。
この病院は本当に日本全国から先生方が勉強のために来られるくらいの病院ですからね。
検査の結果も、1人の先生だけではなくて、その上の先生、またその上の先生、みんなで確認してチームで診断されるんです。
お母さん、これからですよ、驚くのは。
いろんなことわかりますからね」

私はその朗らかな女性の笑顔と、検査に立ち会ってくれたおおらかな男性医師にとても癒された。
それでも、血の気の引いたような顔でぐったり眠り検査を終える息子の姿は、やっぱり痛々しかったけれど。

3日目の午後、何とか全ての検査を終えた!
私の目標は入院中に全ての検査を滞りなく終えることだったから、その時点で脱力した。
コウは入院中病院食を受け入れず、持ち込みの食事ばかり食べていたけれど、最後の最後にほんの少し(白玉団子2個笑)も食べることができた。
あとは先生のお話を待つのみ。
というわけで、入院から4日目、退院直前に医師からのお話があった。

ホッとしたのも束の間、私はやっぱりまた緊張した。

”先生からのお話、どんな内容だろう…"

1人で聞いて、先生のお話を誤って解釈するのが怖くて、朝早くから出発して午後イチで到着してくれたパパと2人、先生のお話を聞かせてもらうことに。

いろんな処置が重なって20分以上遅れてやってきた先生に、握りしめていた「質問リスト」を手渡す私。

主な内容は


◇てんかん発症後にできなくなった様々なこととてんかんとの関連について
 (利き手逆転、両手を使わない、偏食の強まり、排泄の失敗など)
◇一回ごとの発作による脳への影響について
◇今後の治療方針について

他にも細々としたことはたくさん質問したけれど、つまるところ、コウの脳波、血流、機能、どれをとっても異常は見つからなかった。

「今回の検査、外科的な治療が必要になりそうな部分は見つかりませんでした。かかりつけの医師からも、もしそういう部分があれば積極的治療も考慮して診てほしいと聞いていましたので、通常ならやらないような検査も行いましたが、異常なしでした」


私としては、これだけの大きな発作が何度も起きていたのに、なんだか腑に落ちず....。
その様子を見て私の言いたいことを理解したのだろう、先生はこう言った。

「お母さん、脳に異常がなかったこと、これはとても良いことなんです。
治療してすっぱり治せたらいいなと思われていたかもしれませんが。
確かにそういう方もいらっしゃるにはいらっしゃいますが、やはり手術は危険も伴います。
そういう部分が見つからなかったということは、これは喜ばしいことです」

そして息子の脳波を見ながらこうも言った。

「僕らは1日に何十回とてんかんを起こすようなお子さんの脳波も日々確認しますが、それはもっといろんな兆候があちこちから出ています。
息子さんの脳波はとてもきれいで...。
これまでいろんなご苦労もあったかと思いますが、こうして自分で動けて、歩けて、少し変わったところがあるかもしれないけど、こうしてしっかり育ってきた。その過程で今てんかんを起こすようにもなってきた。
それらを含めて、それが、このお子さんに組み込まれていた成長過程なんだと思います」

先生のお話が全部理解できたかというと、こうしてのnoteを書いているうちに、まだ曖昧なままだな、と思う部分もある。
でも、先生のお話から少なくとも息子のてんかん発作に対してよく理解できたことは

◇できなくなっていることとてんかんの因果関係は全くない
◇発作による脳への影響も全くない

ということだった。

それがわかったことだけでも、俄然これから息子と関わりやすくなる。
今まで
「てんかんのせいでこれは難しいのかな...]
とあれこれ気を遣ってきた。
でも、これからはてんかん発症以前と同じ考え方で関わっていけばよいことになる。
これは本当に心強い実証だった。


入院中たくさんの患者さんの姿を目にした。
付き添われて保護帽をかぶって歩く患者さん、毎日付き添いのためにたくさんの洗濯物を抱えるお母さん方。
大変なのは、全然うちだけじゃなかった。
むしろもっといろんなことに向き合っているご家族ばかりだった。


先生の言葉を借りれば、コウはきちんと自分の人生のストーリーを踏みしめて生きているんだな、と思う。

退院後、疲れが溜まって体調を崩したコウと私だが、これからの暮らしにいろんな...積極的な気持ちが湧いてきている。
大変だったけど、入院してしっかり検査を受けさせてもらえて、すごくよかった。

「てんかんもこのところ半年くらい出ていないみたいですし、お薬の血中濃度を見ても、今診てくださっているお医者さんの診断・治療は的確です。
またもし何年後か...検査などが必要な状況になった時は、いつでもまた来てください」

先生は最後に笑顔でそう言った。
私はいつもコウを診てくれている「おと先生」の顔を思い浮かべた。
改めて関わってくださった医療スタッフのみなさんに心から感謝した。

これからまた、楽しく、そして逞しく、過ごしていきたい。

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帰ってきたら「おかえりー‼︎」とでも言うように
ピンクの薔薇が咲いていました(^_^)

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