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【特別】で生まれて、生きて、死ぬ

こんにちは!まこです。

はじめに。
今回はいつにも増して、障害や病気で毎日つらい思いをされている方にこそ読んでいただきたいなと思っています。
我ながら僕も苦しんでいたうちの一人ですから。

そんな方々の希望に、ほんの少しでもなれればいいなと思って書きました。
全体的には前回の続き(シリーズ第2話)となっているので、良ければ下記リンクから前回記事もお読みいただけると嬉しいです。

1.障害を「武器」にするんだ

前回の記事で複雑な事情をあれこれ書いてきましたが、重度障害を抱えながらお金を稼ぐことはやはり簡単ではありません。

健康な心身を持つ方の何倍、何十倍の覚悟とエネルギー、そして能力と運が必要になってくると感じています。

なおかつ、一般の方々と同じように生きている、仕事をしているだけでは「普通に」成功することさえ難しいんだな、と日々実感しています。

だからこそ「特別」を突き詰めていくことが重要なんだと思います。
言い換えれば「差別化」とも言うのでしょうか。

「障害」ってそれ自体はマイナスな存在です。
これまでに何度も書いてきた通り。

「普通」の人が「普通」にできることができない。
人と見た目や能力がまったく違う。
だから「障害」なんです。

ですが、この「マイナスの違い」は時に武器ともなり得ます

人とは異なる視点や経験が強みを発揮することがたくさんある。
ということは、当然それらを生かしていくことが最も賢い選択になる。

つまり
「どうせ人と違うんだったらとことん違っちゃえよ」
「どおせ何をしても普通になれないんだから、他の人には真似できないような、自分の障害を“強み”として生かせる特別な道を進んじゃえよ」

というのが僕の持論です。

そして僕は今、この「特別な道」を進むための準備をしている状態です。

2.アンチ平凡

やっぱり僕は「普通」や「平凡」が嫌いなんですよね。

自らの存在理由を証明するためにも、お金を稼ぐためにも、そして一人間として社会で真っ当に生きていくためにも、何か一つでも飛び抜けていたい。

それは何度も言うように、僕自身が「普通」ではないからだと思うんです。

このブログをご覧になられているみなさんの中にも、ほんとに色んな方がいらっしゃると思います。
僕と同じように、何かしら問題を抱えておられる方もきっとたくさんいらっしゃるんだろうと思います。

みなさんは、毎日をのんびりと、穏やかに過ごしたいですか?
できるだけ「普通」に生きていたいですか?

自分はそうは思いません。
(あばれる君みたいになってしまった)

とはいえ本音を言うと、穏やかに、そして普通に生きることに憧れを抱いているんですけどね。笑

3.どうせなら、とことん「特別」に

それでも僕が「普通」を嫌ってしまうのは、自分が普通を求めちゃうと、なおかつそれで良しとしちゃうと、「なんか損してるよなぁ」と感じてしまうからなんです。

どうしてそう思うのか。
心の奥底のことは正直自分でもわからないけれども、僕はこの身体で生まれてきたために数えきれない制限があって、他の人と同じように「普通」に生きていくことができない。

そのくせ人生が終わるその時その瞬間は、他の人とまったく同じように、平等に、当たり前に死ぬ

一方で普通に生まれてきて普通に生きて、平等に、当たり前に死んでいく人がたくさんいる。

前もってお伝えしておきますが、僕は自分の人生を悲観的に捉えてはいません。
ただ、僕はある意味生まれた瞬間からつまづいているのに、それで「普通」や「平凡」を求めてしまったら・・・

「なんか他の人より人生損してるよな」
「どおせ死ぬなら
とにかく特別なことをして、特別な存在で死にたいよな」と考えちゃうんですよね。

4.障害に付加価値を

何もせずただただ毎日を過ごしてしまうと、それこそ障害がマイナスでしかなくなると僕は思います。

口酸っぱく言いますが、僕にとって障害自体はマイナスです。
そして当然のことながら「障害がある」という事実もマイナスです。

だからこそ、何もせず障害をマイナスのままに留めるんじゃなくて、そこに何か付加価値を与えてやりたいんです。

そうしないと、僕は社会的に「ただのかわいそうな障害者」に成り果ててしまう気がするんです。

人にそう思われるのはもちろん嫌ですし癪です。
ですがそれ以上に、自分自身でそう思ってしまうのはもっと嫌です。
そんなもん生き地獄です。

自らの障害に甘んじて、楽をして生きていくことも可能です。
自分自身のことだけを考えて良いなら、別にチャレンジもせず努力もせず生きていったって良いとも思います。

でも僕にはそれは耐えられないんです。
そうしちゃうと自分の生きていく価値が見出せなくなるんです。

そうならないためにも、僕は特別を突き詰め、挑戦できることには挑戦し続け、努力を継続していくしかない、と子どもの時から思い続けています。

5.まとめ

ということで今回は僕の障害観?のようなものを書いてきました。

「どおせやったら」とか「損するのは嫌」とか、大阪人丸出しのフレーズがそこら中に溢れ出てしまってお恥ずかしい限りです。笑

でもやっぱり損はしたくないねんなぁ。

ありきたりな言葉ですが「人生一度きり」ですもんね。

良かれ悪しかれ特別な形で生まれたくせに(いや良くはないか)、その特別を強みに持っていくこともせず、かと言って普通に生きていくこともできずの人生は嫌なんですよね。

人生って考え方一つで良いようにも悪いようにもなると思うんです。

「何で自分だけ障害者なんだろう」
「どうせ自分は障害者だから」
「どう頑張っても幸せになんてなれない」
こう考えるのってめっちゃ簡単です。
僕だって自分を「悲劇のヒロイン」扱いしたことも何度もあります。

でもこれじゃ何も変わらなかったし、毎日がほんとにつらかった。
自分がなぜ生まれてきたのかわからなかったし、挙句の果てに
「おれは苦しむために生まれてきたのか?」
と感じたこともあった。
でもね、こんなこと思いながら生きていくために生まれてきたわけじゃないはずなんです。

だからそうじゃなくて、
「障害があっても戦えるフィールドはないか」
「何とかして自分の障害を生かせないか」
「障害を持って生まれてきたことに何か意味があるんじゃないか」
と考える方が絶対いいんです。
こっちの方が生きていく意欲が湧いてくるし、頑張ろうとも思えるし、それこそ良い意味で「特別」な存在でいられるから。

別に強要するつもりはないですよ。
でも、何かしら障害や病気があって、どうしても悲観的に考えてしまう人にほど、いつかこう思える日が来てほしいなと思います。

大丈夫。
きっと良い意味で「特別な存在」になれますから。



・・・ガラにもなく良いこと言っちゃったな(。-∀-)笑

でも僕は本気で思ってるし、これからもずっと「特別な存在」として生きていきますから見ててください(`・ω・´)

それでは今回はこの辺で。
このシリーズの完結編を以下↓↓↓↓に載せておきますね。

最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!

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