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断想:教訓にしていること ~”たいした発想力もいらねえよな”~


大日本末期文学と名付けた薄暗くて滑稽な、散文ともショートショートともいえる作品群がこないだ1000本を超えたんですよ。

だからっていうわけじゃないんですが、めずらしく実話をもとにしたお話を昨晩出したんですよね。ええーっと初めてじゃないけど、記憶の限り2回目だと思う(1回目忘れた)。

これを読んでほしいので再掲するとともにですね、きょうは常々教訓にしていることを綴ります。

ベタなんだけど、ダウンタウンを敬愛していましてね。ダウンタウンといえばご存じの方は多いと思うのですが、どの番組よりも長く続いている日本テレビ系「ガキの使いやあらへんで」というのがあります。なかでもふたりのフリートークがまぁ人気でしたし、魅了されましたね(近年はトークをやらないので過去形で書きます)。

あのトークの後半は、視聴者からの質問のハガキに答えていくスタイルだったことも知られていると思います。

きょうはコメディ研究のおじかんではないので、その回答が荒唐無稽やらシュールやらなんやらという議論は脇に置きまして。

ガキの使いの企画構成も務めていた松本人志がなんでああいう質問のスタイルを構築したかというと、まぁいわゆるエピソードトーク、自身の体験した実話をおもしろおかしく話すにはいくらなんでもネタに限界が来ると。そういった理由からだそうです。実際、けっこう底をついたそうですよ。

ところがほとんど大喜利みたいな、視聴者からの質問であれば0から1を、無限を発想できるといったことみたいで。


でそれをわたくしも教訓としていまして。

実話をもとにした話というのはネタとしては扱いやすいし思いつき(思い出し)やすいですよね。でもエッセイではなく完全な創作としてやっていくには、あまりそこに頼ってしまうとすぐにネタがなくなるし、さらに言えば”たいした発想力もいらねえよな”っていうふうに思うんですよ。

あと蛇足ですけど、わたくし事実や目の前の事象を正しく文章で描写する文学的デッサン力が著しく低いので、あんまりうまく書けないし楽しくないっていうのも根底にはあります。

まあようは自由な発想の海を泳ぎたいというわけなんですな。

決まったかな。かっこいいかな。

もうちょっと書きたいことがあったはずなんですけど、餃子食ってビール飲んだら忘れてしまったのでこのへんでおしまいにします。

ごきげんよう。












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