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答えはいつも、自分の中にある。

春からnoteを始めて10投稿目ほどになります。

退職後の「何か」を見つけられたら…。
この世界で「自分探し」ができるかも…。

そんな気持ちで、1回1回大切に重ねてきました。

私の小さなつぶやきに反応してくださる方々の存在に驚いたり感謝したりしながら、私は今日、ひとつのことに気づきました。

それは、紛れもなく自分自身の中にある「揺るぎない思い」についてです。

長い教職人生に終わりを告げ、学校・教育の世界から身を引いて、前向きに潔く家庭に入ろうと決めたのは、他ならぬ自分でした。

子どもたち、保護者さん、同僚、養護教諭仲間から心温まる見送りをしてもらって、未練も後悔もない達成感に包まれた退職でした。

お別れにいただいたたくさんのお花に囲まれて1ヶ月が過ぎ、大切な思い出を丁寧に片付けて2ヶ月が過ぎた今、私は辿り着いたのです。

30年間、自分の中にあった「揺るぎない思い」。

それは、私が保健室の先生をしている間ずっと一貫して大事にしてきたことであると同時に、私自身を支えるものでもありました。

退職したから、もう学校の職員ではなくなったからといって、消えるようなものではなかったということに、気づいたのです。

本当は、分かっていたのかもしれません。
でも、だからといって具体的に今後へとつなげられるものでもないから、気づかないふりをしていたのかも…。

私は、保健室という場で、困ったり悩んだり立ちすくんだりしている子どもたちと共にありたいと、いつも願っていました。

体の痛みだけでなく、心の痛みに寄り添いたいと。

学校に行けない。
教室に入れない。
人間関係の歪み。
家庭のしんどさ。
勉強のくるしさ。
上手くいかない。
分かり合えない。

他にも、原因ははっきりしないけれど、抱えきれないほどの苦悩につぶれてしまいそうな子どもたちと、たくさん出会ってきました。

私には、心理・福祉関係の専門的知識があるわけでも、問題解決能力があるわけでもない。
それは自分自身よく分かっていました。

でも、誰1人、放っておけなかった。
誰1人も、取り残したくはなかった。

「このケースは、難しい…。」
と多くの人が諦めそうになっても、あきらめたくなかった。

保健室は、朝から晩まで、子どもたちや保護者さん、先生方でいっぱいでした。

ああでもない、こうでもない…と話し続ける毎日。
その営みこそが、大好きでした。
私が何かをしてさしあげる、ということではありません。
ご一緒する、その営みの中で、光が見えてくるのです。

もちろん、問題が解決するケースばかりではありませんでした。
反省していることも、たくさんあります。

でも私は、こういう役割が、大事だ!必要だ!と思っていて、そして大好きなんだ!と、はっきり思い出したのです。

もう私は保健室の先生でもないし、学校に勤めることもない。
だけど、だからといって何もできないわけじゃない。

今を生きる子どもたちの中に、今がしんどい子はたくさんいて、どこかで助けを、支えを待っているとしたら…。

私は動くんだ。いつでも。いつまでも。

noteをすすめてくれたのは、娘でした。
私にできるかなぁ…そのくらいの気持ちで始めたはずだったのに。
まさかの気づき。
こんな自分に辿り着くなんて。

具体的にどう動き出すかは時間をかけて考えることにして、まずはこのnoteで、今まで出会ったかけがえのない思い出の数々を紐解いていこうと思います。

よかったら、お付き合いください。

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