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Amat victoria curam.

こんにちは、まこです。


先日、海に行きいつか担当させていただいた方について思い出したことに触れましたが、

なんと以前の同僚が連絡をくれ、その方が訪問看護やケアマネの一切を卒業し、今後は担当医と定期的な受診で様子を見て行くことになったというのです!

すごい……このお話をいただくタイミングもすごいですが、何より訪問リハビリでこんなに嬉しいことがあるでしょうか。

そして報告には、その方がいまでも私とのリハビリを心に強く留めてくださっていること、

私がしつこく嚥下の際の注意点などを書いてお渡ししていた紙を、大切にとっておいたり、壁に貼りながら生活されていることなども書いてくださっていて、

もう嗚咽しながらその連絡を読みました。


すごい、本当にすごい。こうやっていろいろなことが線になり、繋がっていくんですね。


専門学校生時代の臨床実習、超急性期の大病院で、目の前の方の力になりたい、役に立ちたい、と強く願い、実習先に向かうために「私はプロだ」と言い聞かせながら歩いた日々。

そんな私を察してか、バイザーはよく

「セラピストなんて、なんの力もないんだよ」

「こいつがくればちょっと笑顔になれる、ただそれだけでいいんだよ」

「私たちは神様じゃない、できないことばかりなんだよ」

と話していました。


あぁ、先生、こういうことなんですね。

それから何千人と担当し、あんなによく口にしていたはずなのに、わかっていたつもりだったのに、恥ずかしながら、いまようやく、身体の芯まで響いた気がします。


いくらか経験を積むと、どうしても成功の方に目が向いてしまいがちになり、自分が何を大切にしていたのか、本当に必要なことは何なのか、マスクされてしまうことがあると思います。

なにも、だからといって間違えた信念でやってきたわけではありませんし、

バイザーからの教えは、私と一緒に働く人たちにも同じように伝えてきたことです。

それでも、ざぁっと視界が開けたような、そんな一瞬でした。

いままさに必要だったから、私にこんな機会を与えてくれたんだと、本気で思えた瞬間でした、


もう私があの方とリハビリをしていたのは1年も前のこと。

そんな方がいまでも、私を覚えてくださっていて、私とのリハビリの時間を大切にとっておいてくださっている。

こんなにも、「私は1人じゃない」と強く感じたことがあったでしょうか。

こんなにも自分が“欲しかったもの”が明確になることがあったでしょうか。


誰かの心に残る存在になること、心に響く存在であること、それは何も言語聴覚士だからそうだというわけではありませんが、

ちょうど自分が不振だったこの時期に、なによりもがつんと効いたことは確かです。

自分の原動力がなんだったのか、頭ではなく身体で思い出すことができました。

こんなにも離れたところで、こんなにも救われるなんて。本当にありがたい限りです。


嬉しくて、興奮しすぎて、文章がめちゃくちゃです。笑

ごめんなさい、1日かけてゆっくり戻しますね。。








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