精神疾患の根本原因について思うこと

私は過去に“抑うつ神経症”と“解離性障害”と診断された事があります。

19歳で妊娠し20歳で結婚してから、育児は大変でしたが当時の夫とも仲良くやっていて特になんの問題もなく数年間過ごしていました。
(問題がないと思い込んでいただけですが)

結婚してから地元を離れて慣れない土地に移住した事と産後の不安定さも重なり、私は寂しさと不安でとても鬱的になりました。
そこで思いついたのが、幼い頃から学んでいた宗教です。あの人達なら全国で繋がっているし、この地方にもいるはず!と思い連絡をとったんです。

寂しくて寂しくて、とにかく誰でもいいから友達や話せる人が欲しかったんですね。

当時は今のように携帯も普及していませんでしたから、ネットやSNSもパソコンからアクセスする感じで手軽ではありませんでした。
携帯電話を持ったのはそれから数年後です。

赤ちゃんの子育てと自分の孤独感に押し潰されそうでした。

そして私はあんなにあの宗教の教えとそれを教える母が嫌で反抗していたのに、結局入信することにしたのです。

孤独感というのは人の判断を鈍らせ、何にでも縋りたくなるのだな…という事がわかります。

私の場合、愛着障害という元々持っていた傷も相まって不安定さが酷く出たのかも知れません。

宗教に入信してから5年ほど、ずっと親にとって(宗教にとって)のいい子として生きていました。

見本となるような信者となるよう
健全な信者で在るよう
誰からも素晴らしいと言われる信者で在るよう
嘘や偽りなく、自己犠牲精神をモットーとして

……書いているだけで息が詰まりそうになってきました💧

「こんな胡散臭い糞宗教なんか信じてるわけねーだろ、大体子供をムチ打ちするとかキチガイだろ、それで深い愛があるとかオカシイだろ」
という自分の本音はひた隠しにしながら、今思えば気持ち悪いほどいい人ぶって過ごしていました。

本当はオカシイと思っているのに続けるようなそんな二重生活を続けた結果、パニック障害、抑うつ神経症、解離性障害という精神疾患を発症しました。
そこから何年もその病たちと共に過ごす事になります。

私はその根本原因としてあるのが“愛着の問題”だと思っています。

親との健全な愛着を築け無かった事で、依存的になり、しがみつける何かを探したり、ありのままの自分を愛せなくて愛される自分に拘る自分の基礎みたいな認知の歪みができたからではないか…と思っています。

逆を言えば、親に健全な愛着の土台があれば、母が父のような人を選ぶ事も、父が母のような人を選ぶ事も無く、私は存在すらしておらず、両親がアルコールに依存する事も宗教にしがみつく事も無かったと思います。

全部の出来事が、愛着で繋がっているように思えてなりません。
(実際には愛着で繋がっていなかったから起きた事だと思いますが)

愛(他人からのぬくもり)を与えられなかった赤ちゃんは早死にするという実験があったのをどこかの記事で読みました。

愛を知らない両親が子供を産み、愛を知らないまま子供を育てたけれど、子供は親の関わりをなんであれ“愛”だと思わないと生きていけなくて、勘違いしたまま、愛じゃないモノを愛だと思い込んだまま、たまたま大人になったのが愛着障害(もしくは愛着形成不全)の大人なのかも知れないと私は思うんです。

その勘違いは大人になるにつれて生きづらさとなって現れて、自分が思う愛と、体感的に感じる愛の乖離がどんどん酷くなって、とうとう精神疾患や何らかの障害になって悲鳴を上げるのではないのかと考えています。

だから答えはきっと簡単で、養育者との愛着さえしっかりと築けていれば、その子供は本当に幸せになると思います。脳が柔らかい子供時代に、存分に大切にされて健全な関わりと愛情をいっぱい受けて育つ事はとても重要な事だと感じます。

そういう理由で、親子間、養育者との愛着形成を、私はとても重視しています。

アタッチメント理論という概念がもっと広く多くの人に当たり前の事として浸透していけばいいなぁと思うと同時に、もし愛着形成不全でも、自分が回復したい意思さえあれば、回復していくという事も沢山の方々に届くといいなぁと思っています。


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