柴田_雑穀ごはん_

オンリーワンのビジネス

オンリーワン(わたしにしかできない)ビジネスは、なかなか見つけ出したくても、出てくるものではない。
まだフリーランスなり立ての頃、出版コンサルタントの人に出版企画の相談に乗ってもらった事があった。出版なんで誰もができることではない。当たり前なのだが、「オンリーワンな内容でないと出版なんて無理だ」と言われた。自分だけにしかない、他の人には書けないものってなんだろう?考えても何も出てこず、「だからダメなんだ」とボロくそにダメ出しされた事を今でも鮮明に覚えている。
わたしの資格で言うと「管理栄養士×ダイエット」なんて山のようにいるし、エッジをきかせて「管理栄養士×雑穀」としたところで わたしだけではない。
そんな中、これはオンリーワンなのでは?と思い最近始めたビジネスと、先日ご紹介した自己紹介の記事において、栄養士になってからの内容が若干駆け足だったので別の角度から見てみようと思う。

会社員時代

わたしは、2度転職し 3社で働いている。
▪︎委託給食会社…3年
▪︎ベンチャー企業…半年
▪︎大手商社(卸業)…3年半
全て栄養士、管理栄養士での採用だが全く異なるタイプの会社で働けた経験は大きい。
委託給食会社での給食管理業務は、病院や老人ホーム、保育園や学校給食と並び一般的な栄養士の業務である。最初の会社は3年働く事を目標にやってきた。石の上にも三年なんて時代じゃないのはわかっているが昭和生まれのわたしは「1年目はお前は働いているが、給料以上の働きはできていない。会社がお前に投資しているんだ。2年目はやっと同等の働きができるようになり、3年経たないと会社に恩返しができない」と言われた父親の言葉が胸に響いていた。
実際2年目、3年目には見えている景色が変わっていた。5年10年と続けていらっしゃる方にはまだまだかもしれないが、3年続けた給食管理の経験値は今でも活きている。

ベンチャー企業では、「経営者の感覚」を意識するようになった。前職では「こんなに美味しい食事を提供しているのに…卓上メモなど頻繁に変える努力しているのに…なぜ給料が上がらない」そう思っていた。しかし、自分が頑張っている「つもり」でもしっかり売上を上げ、利益を残さないことには給料に反映されない事にはじめて気がついた。あほか、当たり前だろうと感じた人もいると思うが、わたしの周りの居酒屋で愚痴を言い合う仲間はこのような考えの人が多かった。ググるなんて言葉もなかった時代は、周りの小さなコミュニティの中だけの情報で、知らない世界が多すぎたのだ。白衣に帽子、マスク、長靴を身にまとった白装束は、転職してはじめて上下黒のスーツ、ヒールを履き、ベンチマークはスッチーや女子アナと言われた。できると思っていたビジネスマナー(敬語など)もいつも八百屋のおじちゃん、魚屋のおばちゃんとしか話さないただの丁寧語なだけだったため、尊敬語と謙譲語が入り混じっておかしなことになっていた。頭の回転の早い社長には話しかけられただけで息が止まるほど緊張した。栄養カウンセリングで入ったはずなのに、はじめの2か月くらいで後は新しいビジネスモデルを考えていた。働き方などいろいろな意味ですごい会社だったが、集まっていたメンバーもすごかった。とりあえず、仕事が楽しくて楽しくてしょうがなかった。

しかし、会社が潰れるんじゃないかと噂になりいよいよ退職した方がいいと考えるようになり、先を何も決めずに辞めた。
ニートである。
働き過ぎたわたしは、彼氏とも別れ、友達とも疎遠になり、習い始めた英会話も辞めたりと、何もかもがなくなっていた。
栄養士になるまでは目標だったけど、いったい何がしたいんだろう。
ずっと考えても、時間がどれだけ経っても、答えがみつからない。ハローワークに行って「何がしたいかわからない。」と言うと「君は鬱のようだから病院を紹介する」と言われた。

3ヶ月が経とうとした時、「働いていない自分が1番辛い」と感じるようになり、目に入った求人が管理栄養士で「商品の企画・開発・営業」の仕事だった。企画・開発・営業…どれかは自分の好きや得意に引っかかるかもしれないと思い、応募した。
業種としては卸業で主にスーパー向けのお惣菜の企画・開発・営業だった。メーカーの商品をスーパーに提案する際にアレンジを紹介したり、売り場の展開などを提案したり…。国内外の食品メーカーの工場を視察し、全国のスーパーに提案にまわった。エビフライ30種類、コロッケ50種類、唐揚げ30種類を1度に試食したり、ハレの日(クリスマス、正月、ひなまつりなど)はスーパーを回って売り場展開を視察したり…楽ではない仕事だったが、なかなかできないこの経験は、今様々な企業のアドバイザーとしてもお仕事させていただくのに、かけがえのない資産となっている。

フリーランスの3年半

独立した理由は、先日ご紹介した自己紹介の記事に書いたが、全く計画性なく、勢いで会社を辞めてしまった。とりあえず、営業のために始めたのが「ブログ」である。
営業と言えばベンチャー企業の時、新宿のタワービルの1階から最上階までアポなし営業をしたことがあった。
売れない。
営業は嫌なこと・辛いことというようなネガティブなイメージもある。営業されると嫌な気持ちになることも多いが、その反面 わたし達は「営業中」という看板のかかったラーメン屋に営業をされに入っているのである。
ブログの開設はわたしにとって、ラーメン屋の営業のようなイメージだった。「いつか仕事がきますように!」そう願いながら毎日書き続けた。1日3記事上げていた時期もあった。その成果もあって、ブログ開設1年目で出版やNHKのお料理番組の出演が決まった。
今考えても、奇跡のようである。アクセス数こそ、言うほど良くなかったが「ブログで仕事を得る」という目的は達成していた。
1年目、2年目と順調にすすんで行ったが、状況が一変したのは東日本大震災だった。
フリーランスに全く仕事がまわってこない。
覚えているだろうか。あの頃、外食するのは悪!イベントを開催するなんて悪!そんな状態だった。コンサルで入らせていただいた会社は正社員を守るため、当たり前だが打ち切りになってしまい、企画されていたイベントや連載していたコラムまで中止になった。収入ゼロになったわたしは生活していく事もそうだったがひとりで生きていくことに不安すら感じ、頭を下げて実家に帰らせてもらうことにした。「結果出して1年以内にまた出ます」という条件付き。
実家に戻るとすぐに、わたしのマインドをリセットするような学びに出会う事になる。これについて書くと長くなってしまうためここでは控えるが、仕事に対する姿勢が変わったことでぐんぐんと成果を上げていった。
今まで自己実現(わたしはこうなりたい)を中心に考えてきたが、社会実現(どう社会に貢献していきたい)と思うようになり、法人化を考えたのは自然の流れだった。
9か月で業績も良くなり、年収1000万円を達成し、当社のはじめてのオフィスとなるキッチンスタジオに引っ越す。表向きは家と分けていると話していたが、自宅兼事務所だった。

株式会社エミッシュ、Love Table Labo.設立

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株式会社エミッシュは2012年9月に設立したわたしの会社で、その直前の7月に設立したのがLove Table Labo.である。
料理家として活動しているうちに、フードコーディネーターやフードスタイリスト、カメラマンさんなどと仕事をすることが多くなった。管理栄養士でもA社と仕事をすると同業のB社と仕事をできないことは多い。スケジュールも短い案件に声がかかると 担当者の人かわいそうだから紹介してあげよう!そのようなおせっかいが続いて、Love Table Labo.を設立した。要するにLove Table Labo.では管理栄養士・フードコーディネーター・フードスタイリストのキャスティングを行っていて、現在では登録者数900名を超える。

7年経った今でこそ、ここまでの規模になったがもちろん始めはひとり社長。アルバイトの管理栄養士スタッフが週2~3回お手伝いに来てくれていた。自分自身も管理栄養士・料理家としての仕事をさばきながら、Love Table Labo.でキャスティングや営業を行い、美穀小町(雑穀のECサイト運営)の管理や発送業務も行い、夜は交流会やセミナーに参加したり、食事会を企画したりと、今考えても とてつもない業務量をさばいていた。会社設立1年目でキャパオーバーとなり、正社員で働いていた母を会社に呼び寄せ、経理業務を一任。
2年目には管理栄養士の正社員、営業の正社員とひとりひとりスタッフを増やしていった。7名まで正社員を増やしたが、現在は5名となり、後は業務委託で仕事をお願いしている。7期、1度も赤字を出したことはない。

オンリーワンのビジネス

「会社経営も7年経ったら落ち着くのでは?」などと言われるが落ち着くなんてあるのだろうか。逆に落ち着いたら終わり(成長なし)と思っている。会社を作った時点で、「落ち着くまで結婚は無理だ」とも言われたが、(落ち着いてないけど)2016年に結婚、2018年に第一子を出産した。

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産休0日、育休ほぼなしで働いたが、辛くはなかった。しかし「子どもが生まれても会社経営をしなければいけないんだ」「負けないんだ」とただただ殺気立っていたようにも思う。1歳を迎えたころ、落ち着いて振り返る余裕が生まれた。

その時に、ふっとオンリーワンのビジネスが降りてきたのだ。ずっと求めていたオンリーワンが、ふっと。

会社員時代、全く異なるタイプの会社での管理栄養士業務。
フリーランスでの3年半、紆余曲折あったが3年で1000万円売上を達成できた実績。
法人化してから、ひとり社長~7人まで正社員で雇用した経験。
自分ひとりではなく900名の登録スタッフさんの業務にも携われたことによる実績の多さ。採用される人とそうでない人の違い。
ECサイト(通販)を9年運営していること。
結婚、子育てとの両立。(スタッフも含め)
現在かろうじて30代。
こんな経験ができている管理栄養士ってオンリーワンなのではないか?

時代は「わたしらしさ」を求めて様々な働き方改革を実践している。栄養士・管理栄養士・フードコーディネーターは同じ働き方ができるのであろうか?特に女性はそのタイミングによって適切な判断をすべきだ。甘い言葉を並べて、フリーランスになって本当に幸せになれるのだろうか?わたしらしい働き方をするにはどうしたら理想に近づける?

今持っている全てのノウハウをこの教材につぎ込んで、「令和をしなやかに生きるわたしらしい働き方バイブル」をリリースした。
時代は「わたしらしさ」を求めて様々な働き方改革を実践している。
わたしらしく働くことって本当に楽しいし、毎日が充実するがただ、SNSにあがっているような「キラキラ…!」「リア充ー♪」ばかりではなくて、もっと地道な努力も必要なのも確かである。
多くの「わたしらしい働き方」に悩んでいる人や現在の状況をもっと良くする糸口となれば嬉しい。


栄養士・管理栄養士・フードコーディネーターのための
はじめてのフリーランス
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