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自己紹介

はじめまして。

株式会社エミッシュ 代表取締役
Love Table Labo.代表
管理栄養士で料理家の柴田真希と申します。
7年間の会社員、3年半のフリーランスを経て、現在は管理栄養士、料理家として活動しながら会社経営をし、7年が経ちました。
「すごい人?」とか、「親も経営者?」「親が料理家とかで出版社とコネあるの?」 などと思われがちですが、全くそんなことはありません。
昔は夢や目標もなくて、やりがいが分からず、手取り15万円で死んだ魚のような目をして働いていた新卒栄養士時代がありました(苦笑)
本当に、ふつうの学生・一般的な栄養士。
ニートの時代もありました。

そんなわたしでも、夢ややりがいを見つけ、仕事だけではなく ずっと目標としていた子育てと仕事の両立もできています。

☑管理栄養士で料理家、フードコーディネーター を夢見ている
☑栄養士になったものの、やりたい事が見つからない。今の仕事がつまらない。
☑フリーランスを目指している
☑子育てとの両立に悩んでいる
☑会社経営がしたい

そんな誰かのお役に立てれば嬉しいです。

栄養士になるまで

1981年生まれ、東京都出身。(現在38歳です。)
3人兄弟の長女、A型です。

ちびまる子ちゃんで言うとたまちゃんタイプ。
いつもいい子キャラでおとなしめ…そうしないといけないのだとも思っていて自我をずっと抑えた幼少期のようにも思います。

幼少期4

わたしがひとつ誇れることは、10歳の頃から「お囃子(はやし)」をやっていること。
お祭りで耳にする笛や太鼓を今では近所の小さなお子さん達にも教えています。
ここからお囃子の技術はもちろん、小さな頃から師弟関係を通じて様々なことを学びました。


幼少期5

高校に入ってからはチアリーディング部に入部。
わたしの性格がより明るく、そしてバイタリティ溢れるようになったのもこの頃からです。
(写真は卒業後、社会人になってから結婚式の余興で披露したときのもの)

栄養士を目指して

栄養士を志したのは、中学生の時。
当時の将来の夢が「素敵な旦那様を支えるお嫁さん」だったわたしは小学6年生で手芸部に所属し、セーターを編み上げるまでの腕前に。
中学生になり、愛読書はオレペ・レタクラ(料理雑誌)。
料理=調理師だと思い将来の夢を考える授業の前に母親に「調理師になろうと思う」と相談します。
「これからは、女性も手に職の時代。料理だけではなく栄養も考えながら料理が出来たほうが可能性が広がるよ」との忠告を受け、まんまと栄養士を目指すように。
早く自立したい…そんな想いが強く、大学ではなく女子栄養大学短期大学部に入学しました。
あっという間の2年間を経て、社会人生活がスタートします。

会社員時代…社員食堂で3年、ベンチャー企業で半年、商品の企画・開発・提案営業の3年半

「栄養士になる」という目標は持ったものの、栄養士になって何をしたいかは見つけられないままの就職活動。
メーカーの研究職は違う、公務員も難しそうだ、「料理をしたい」がきっかけだったため病院や保育園も違う…残った選択肢が当時「社員食堂」しか思いつかず、委託給食会社の栄養士として採用されます。
給食管理…いわゆる、「一般的な栄養士業務」です。
毎日代わり映えしない生活に「辞めたい」の連続でしたが、周りの環境に支えられ3年続けることを目標に取り組みます。
「辞めたい」もはじめの1年くらいで後は今ある環境の中でどれだけスキルアップできるかを考えて働いていました。
管理栄養士国家試験に合格し、可能性を広げるために転職。
人が病気になってからではなく、健康をキープできるための栄養カウンセリングがしたいと思い、ハローワークからの紹介でベンチャー企業に採用していただきました。
栄養カウンセリングをしたのは、2~3か月であとは、毎月違う仕事…。
包丁しか握ったことのないわたしでしたが、パソコンを使って資料を作ったり、プロジェクトに参加して新しいビジネスモデルを考えたり。
会社に泊まって仕事しても明け方タクシーで帰って2~3時間寝て、10時にはけろっと出社したりしてました。
土日も自ら出勤していたし…ブラック企業かもしれないのですが、刺激的ですごく楽しかった。
この会社がなかったら自分は変わっていなかったし、本当に良い経験ができた想い出です。
しかしそんな会社も長くは続かず、倒産危機により退職。
3ヶ月間のニート生活になります。
急に職を失ったわたしは、また原点の問題に立ち返ります。
栄養士になったものの、何をしたいのかわからない。
結局、転職活動をするものの、何をしたいのかわからないと探すにも探せず…3ヶ月が経とうとした時に、「働いていない自分が1番辛い」と感じるようになります。
その時に目に入った求人が管理栄養士で「商品の企画・開発・営業」の仕事。
企画・開発・営業…どれかは好きに引っかかるかもしれない!
そう思って応募し、採用していただきます。
主にスーパー向けのお惣菜の業務用冷凍食品の企画・開発・営業に3年半携わらせていただきました。

わたしらしい働き方を実現させるために、独立

欲張りなわたしは、いつか結婚した時にも、母として、妻として、女性として…キラキラ輝いていたい、ずっとそう考えていました。
お惣菜の開発のお仕事はとても充実していました。
国内外に出張もたくさん行かせていただいて、普通の栄養士にない経験を積むことができた。
残業も多かったけど、それに対する不満はありませんでした。
しかし、結婚したら、子どもが生まれたら、この生活はできないなとも感じていたのです。
27歳の誕生日、まだ相手もいなかったのにいつか来るであろう家族の幸せのために今から準備しておかなきゃと、フリーランスになりました。
準備はほぼゼロ。
収入がなくなるかもしれない不安より、一生働けないかもしれない仕事を続けていく事に不安を感じての独立でした。

フリーランス3年半、会社経営をはじめて7年が経ちました。

独立後のことは、あまり考えず行動してしまったため、ひと月10万円も稼げなくて不安になる月もありました。
料理家の先生のアシスタントについたわけでもなかったのでこの業界のルールやマナーがわからずにだいぶ遠回りしてきたようにも感じます。
しかし、時流に乗れていたのか、ブログやSNSを駆使し、多くの時間や努力を費やして、短期間でいろいろと達成してきたとも感じます。

だんだんと仕事が入るようになってきて自分なりのノウハウを構築し、安定的に仕事が入るようになりました。
フリーランスになって3年半。
自分自身が「こうなりたい」という気持ちより「誰かのために、こうしたい」「チームで仕事がしたい」という気持ちが強くなり2012年に株式会社エミッシュLove Table Labo. を設立しました。


女性が一生働ける、わたしらしく働けるフィールド作り


独立してから、管理栄養士・料理家としての志だけではなくずっとわたし言い続けてきたことが、仕事と子育ての両立・女性としての三徳を活かすことです。
20代後半~40代の女性と仕事をする機会が多いですが、皆 これらに悩んでいます。
でも、両立ってできないのでしょうか?
仕事も育児も、他にもやりたいこと全部達成したい!って思うのって欲張り?
わたしは、智慧を使って努力していけば、必ず願いは叶う、やり方次第で総取りできると思っています。

わたしにとって初めての専属スタッフさんは、出勤初日のランチでご懐妊の報告を受けました。
会社設立して2年目となり、スタッフ募集をした時、その人のお子さんは1歳になるタイミングで、勤務スタイルの希望は週4在宅勤務でした。
時短勤務、イレギュラー対応、エミッシュ初の産休・育休・復帰・・・など、この短期間に本当にいろいろな「子育てとの両立」の課題に向き合ってきました。

子育て_R

わたし自身、フリーランスから会社経営と ずっと仕事に明け暮れていましたが、プライベートでは2016年に結婚、2018年に第一子を出産し現在は子育ても楽しんでいます。


わたしが、新卒で働き始めた18年前では考えられなかったことが「働き方改革」によって実現しています。
今は「わたしらしい働き方」ができる時代なんです。

☑今の仕事が忙しすぎて、手がつけられない
☑せっかく資格を取ったのに、活かしきれていない
☑教えてくれる人がいないから、やっぱりフリーランスになる勇気が持てない
☑国の制度が整っていないから育児を選択したら仕事ができなくなった
☑会社がママに寄り添っていないから、両立が難しい

そんな見えない誰かのせいにしてできない自分から逃げてほしくない…!
みんなが わたしらしく働いて、充実した毎日を送ってほしい…!
そう思っています。
わたしももっともっと成長していきますが、令和をしなやかに生きるわたしらしい働き方について、noteで発信していきます。
どうぞよろしくお願いいたします。


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