人生の「苦」を減らすにはどうすればいいか?

よほどストイックな人生を望まない限りは、なるべく人生に「苦」は少ないほうがいい。そして、考え方次第では、「苦」はある程度、軽減することができる。もちろん避けようのない「苦」もあるだろうが、日常的な人生の雑事にまつわる「苦」は、たいてい捉え方次第だと思う。

では、「苦」を減らすには、どうすればいいか?

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仏教にいう苦は、自分の人生が思いどおりにならない、ということと等しい。(中略)人生についてあらかじめこうであると考えているから、そうなるわけです。むしろ人生は、客観的な法則によって、なるようになっているだけ。だとすれば、あらかじめこうであるべきだというふうな甘い期待というか、幻想というか、そんなものを端的に持たないようにすれば、100%掛け値なしに、人生をあるがままに享受できる。すべてをプラスと受け取ることができる。こういうことを言っているだけじゃないでしょうか。p.81

『ゆかいな仏教』橋爪大三郎・大澤真幸著

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人生が「思い」どおりにならないならば、そもそも「思わ」なければいい。期待や希望や願望を捨てて、ただ、いまこの瞬間を、何のフィルターも通さずにただ受け取ればいい。言うは易く行うは難し。

ユダヤ教やキリスト教にも「苦(受難)」という観念はある。仏教とはかなり異なるが。もしユダヤ教・キリスト教の受難を、「期待するから苦しいのだ。すべては空なのだから、あるがままに受け入れろ」と説法したら、かなり様相が変わってくるだろうと思う。「よきソマリア人の譬え」なんか全く成り立たなくなるだろう。


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