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中三 旅行記① 九州大体一周旅

東京駅の電光掲示板を見るといまだにわくわくする。

飛行機の移動はなんか実感を伴わくて無機質に感じちゃうけど、鉄道を使うと景色の移り変わりが見えて陸続きなんだなって思えてそこにロマンを感じる。

東京駅にいた時に感じていた、中学生なりの冒険心をふと思い出したから今回は旅の思い出を書こうかね~と思った。


九州旅行

平成31年4月30日22時、平成最後の日、東京駅9番線ホーム
はじめての九州ということで未知へのわくわくが詰まっていた。
飛行機に乗るなんて無粋なことはしなかった。
乗車したのは寝台特急「サンライズ出雲」。
平成から令和に改元の瞬間を列車内から見届けたかったというたくらみ。
今考えたらだいぶ粋な計らいだと思った、ナイス当時の自分。

寝台に乗り込む。
中学生に晩酌なんて概念はないが、個室に強烈な縄張り意識を持っていて満喫する気満々であった。
旅のお供は当時愛飲していたエナジードリンク2本。
隣を走る、水色の通勤電車を横目に悦に浸りながら、がぶがぶ飲んだ。

部屋の中


当然眠れなくなり、深夜の静岡、名古屋、京都、大阪を絶望感とともに通り過ぎる。
令和元年初日、午前6時半、最初に降り立った地は岡山駅。もう意識はもうろうとしていた。夜行系の移動は寝れたモンが得すると初めて気がつけた。今思うとちょっとかわいい。

岡山から新幹線に乗り、九州上陸。博多駅で起こされる。
鹿児島中央行きじゃなくてよかった。
博多駅はただの都会の駅といった雰囲気で特段感情はわかない。
博多駅からいろいろ乗り換え長崎県へ。
そこから海を見ようとしてローカル線のぼろぼろのディーゼルカーに乗り込む。
乗り込んだやつは2段の窓の下段を開けられるタイプの車両で5月の風がきもちよかった。

いいところ


駅名は忘れたが、どこかの海辺の駅で降りた。
ド曇天だったが、波の打つ音と猫と集落だけという様相が落ち着いていてあまりにtake it easyすぎる光景に東京の喧騒から離れられた実感を持つ。
その日は長崎をぶらぶらして博多に戻った。
ラーメンを食べたが、正直博多のとんこつラーメンは過大評価されすぎていると思う。

次の日
切符が特急乗り放題だったため、一気に宮崎に行った。
道中は本当になにもおぼえていない。
これまたボロボロの1両編成のディーゼルカーにのり、志布志という町に行ったが、廃墟同然のスナックとラ部屋テルがあったような気がする。多分。
かなりさびれた町だった。

志布志のまち


途中、新緑の森の中を40キロほどで通過したとき、猫バスに乗ったような気分がした。
宮崎の町は記憶がなさすぎる。酒を飲みにまた行きたい。

次の日
始発の電車で鹿児島へ。
都城という町からローカル線に迂回して向かったが、途中、部活に向かう高校生集団で混雑していた。
そういう時、おれって東京の中学生なんだぞ!って誇った気持ちになっていたが、今考えるとさすがにキモイ。
鹿児島の町はデカかった。桜島も大きくて存在感がある。

車窓より


実は50万都市で人も多い。
駅前の店で鳥刺しを食べた。これこそ禁断の味である。
鹿児島もご飯がおいしいイメージが強い。

そこから指宿枕崎線に乗りJRの果ての駅へ向かう。
ここが最果てなんだぞっていうのを示したいのか知らないが、やけに線路状況が悪い。
ずっと頭が揺れていた。ガタンゴトンというオノマトペは似合わない。
植生も南国風であり、最早東南アジアに来てしまったのかと思うほど。
そんなこんなで終点へ着いた。枕崎駅。


妙な達成感を覚えた。
東京駅から一番遠い駅(のひとつ、稚内と根室と僅差であった)。
最果ての駅にたどり着いた感慨もひとしおで、そんなまちにも駅前にほっともっとがあったことだけがこの町の唯一の記憶。
そこからバスで鹿児島に戻る。鹿児島に戻ってからは岡山経由で帰るだけだ。

帰るだけだと思っていたが、そこから素敵な出会いがあった。
在来線の旅が好きなので、鹿児島からちょっと北の川内というエリアまで鹿児島本線で向かった。
ゴールデンウィークということもあり、車内は混雑。
車端部のボックスシートは僕含め、3人が座っていた。
前にいた男の子は僕が持っていた一眼レフに興味をもって話しかけてきた。
その子は高2だった。
僕は旅先だとかなり内気になり、あんま人と話さないから、近い年代の人としゃべることができたのがうれしかった。
もう一人の乗客はこれまた物腰柔らそうなおばあさん。
僕は見栄を張りたかったのかわからないが、高1だとさばよんで、話を弾ませた。
東京の中学生の僕と地元鹿児島の高校生という生まれた環境が大きく違う2者が出会い、ひとしきりの世間話をした記憶は明確に覚えている。
全員終点まで乗車し、最後はおばあさんがお菓子をくれ、東京まで旅頑張ってねえ!と言われ2人と別れた。


多分次の改元の時には寝台特急はないから、いい企画を立てたなとしみじみ。
ボックスシートの出会いはあまりに素敵な思い出だったなと思う。
当時は移動が好きだったから、あんまり町を歩いていなかった。
高校に入ってから、旅のテーマが町に移った気がする。
これからもっと中学時代に行ったエリアを町ブラしたい。お酒飲みながら。






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