千葉県市川市に伝わる1300年以上前の美少女の動画を制作している
台風が通り過ぎて、きょうはものすごく暑いですね。
夏休みは残すところあと2日…。今年はほとんど家で動画編集に明け暮れました。仕事ではなく、自主制作なので、大学時代に所属していた放送研究会の活動みたいです。もう20年以上前のことですが。
いまだに個人で動画制作をしているなんて、同期や関わりのあった先輩後輩の中では、たぶん私だけでしょう。このことを知られたら「まだやってんのかよ!」と突っ込まれると思います。昔から私は諦めが悪いのです(笑)
さて、いま制作している動画は奈良時代以前に存在したとされる伝説の美少女、真間(まま)の手児奈(てこな)の物語です。手児奈は千葉県市川市の人にはおなじみだと思いますが、全国的にはほとんど知られていないでしょう。
手児奈のストーリーを簡単に紹介します。
われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 真間の手児名が 奥つ城処
(私も見た。人にも語ろう。葛飾の真間の手児名の墓があったことを)
巻3-432 山部赤人
なぜ山部赤人はそれほどまでに手児奈に興味を持ったのか。そもそもSNSもテレビも雑誌もない時代でどうして地方の少女の話が都にまで伝わったのか。何か隠された理由があるのではないか…その辺のことに興味を持ち、動画を制作しているというわけです。
動画は8月25日の18時半からの万葉ロマン塾で発表します。興味がある方は以下フォームよりご参加ください。無料ですので、お気軽にお申し込みください。大伴家持に関するおもしろい講座も聞くことができますよ。
現在の真間の手児奈
現在も市川には真間という地名が残ります。様々な場所で手児奈の存在を感じることができます。地域の人が1000年以上も手児奈を語り継いできたことがわかり、感激を覚えます。
奈良時代の天平九年(737年)に高僧の行基菩薩が手児奈の哀しい話を聞いて、手児奈を弔うために創建された由緒あるお寺です。
文亀元年(1501年)弘法寺の住職の夢枕に手児奈が現れ、「私は多くに人に供養していただきました。その御礼として今度は私が皆さんをご守護いたします」と言われたことをきっかけに創建された神社。もともとこの場所に手児奈の墓があったそうです。
手児奈霊神堂の前にある碑は当時の弘法寺の住職と幕府の作事奉行で大工頭を務めた鈴木修理長頼によって元禄9年(1696年)に建立されました。
なぜ私が地域の歴史文化に関する動画制作をしているのかは↓の記事で書いています。よかったらご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。