ペットロスに罹りました
いつか「この日」はやってくるとは頭では思ってました。
修行は、ある意味その備え(覚悟)としてもやってきたと思っています。
精一杯愛情を注いできました。だから「愛してきたこと」に悔いは一切ありません。
でも、すぐそこに「いる」のと「いない」のは、何だかんだ大きく違います。
魂は確かに「いる」んでしょうね。そして今の私の一挙手一投足を見守っているんだと思います。
でも、動物とのコミュニケーションで大事なのは、スキンシップです。肉体がなくなると、それは不可能になります。
ところで、ヤツはどこへ行ったんでしょうね?
人間と同じで、浄土に行くまではこれからも何度も輪廻して、その度に徳や穢れと向き合わなければいけないんでしょうか。
俗に「虹の橋」って言葉ありますよね。
ヤツは、あくまで私の推測ですが、そのまま一直線で浄土に行ったんじゃないかと思ってます。
だって、人に愛されるために現世に生まれてきたんですよ。その時点ですでに救済じゃないんですか?少なくとも「畜生道」に落ちた訳ではない。ヤツは、生まれた時点で既に徳の権化だったんですよ。
ズルくて、小賢しい性格でしたけどね。
普段、私が何かする度に気にする「穢れ」なるものをヤツが気にしている様子は一切ありませんでした。
浄土で、先代とともに浄化され、尊い存在になっているのであれば、私のペットロスは取り越し苦労でしょう。
そして、私の状態なんですが
まあ、何と言うか、「鬱」の一歩手前です。かなりヤバい状態です。
脳が、脳汁が、伝達物質が、すべてちぐはぐです。原因はまあ、「失った悲しみ」という、至極俗的なものに過ぎませんが。16年の月日は重いんですよ。
いやー、ペットロスなめてましたね。予測はついていましたが、ここまできっついとは。破壊力抜群だとは。
で、厄介なのは
この「軽度の精神疾患状態から立ち直る」ことに対する恐怖感なんですよ。
人間って、「忘れる」というプロセスを踏むことにより立ち直るじゃないですか。でも、「忘れたくない」んですよ。だって今の悲しみ、寂しさ、苦悶って、愛ゆえのものじゃないですか。
先代を亡くした時、すぐ子猫(今いるヤツ)を迎えたんですよ。まあ、タイムリーな縁でした。それがたまたま早く巡ってきただけ。
でも、子猫を育てるって、気力体力めっちゃ使うんですよ。だから、先代を悼む暇などなく、時が経つにつれ、先代の記憶は薄れていって。。。
「忘れる」って、一番悲しいことじゃないですか?
先代だって、確かに「いた」んですから。重く。
私は、許されることなら、今回のペットロスを、いつまでも引きずっていたいんですが、それは人としてダメですか?
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