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玉ねぎの皮

ハンバーグを作る時、玉ねぎがめんどくさくて代わりにネギやらビーマンやらキノコらをみじん切りにして入れると言うと、同僚は軽蔑するような目をオブラートに包むようにして私を見た。

「そんなに面倒かな? みじん切り器ってのがあるよ。それ、めちゃくちゃ簡単に玉ねぎのみじん切りできて便利だけど、どうかな?」 

そんなアドバイスをもらった。

そんなんいらないよ。と思いつつ、

「ウワサに聞いたことあるけど、そんなに便利なの?」

と問い返した。

私がハンバーグを作るのに玉ねぎが面倒だと言ったのは、みじん切りのことじゃなくって、玉ねぎの皮を剥くことだった。

みじん切りなんて屁でもない。
なんなら包丁で玉ねぎをギッタンギッタンにみじん切りにするのは大好物なんだけどな……。

「100均でも100円じゃないけど売ってるよ。めっちゃ気持ちいいよ~!」

と、同僚が気持ちよさそうな顔で教えてくれたので、ホントにそんなに気持ちがいいのか購入してみた。

結果、確かに気持ちよかった。

糸を引っ張れば引っ張るだけ玉ねぎが細かくなってゆく様はおもしろい。

しかしその後のその機器を洗う仕事が残る。
容器は簡単に洗えたとして、刃物が幾重にも連なった支柱を洗うのが怖い。
指を切るリスクが高いのだ。

包丁一本の方が洗うのは安全で簡単だと思った。

それからというものみじん切り器が登場することも無く、包丁でみじん切りをして過ごしてきた。

つまり私は玉ねぎの皮が苦手なのだ。

玉ねぎが好きなのに玉ねぎを使って料理しようとすると、玉ねぎを何かに代替えしたくなる私の悪いクセ。

玉ねぎの皮を剥くのが苦手で、なんとかレシピをアレンジできないかと、野菜室の中を眺めて玉ねぎから逃げたくなるのだ。

ある週は、買ってきた玉ねぎ全ての皮むきをし、すぐに使えるようスタンバイしておいたこともある。
そんな週は玉ねぎが無限に使えるような、まるでマリオがスター状態になったかのような無敵感を味わえた。

さて、私が玉ねぎを苦手とするのは、みじん切りじゃなくって皮を剥く作業だ。

この情報化社会、今朝、私のスマホに朗報が届いた。

『玉ねぎの皮を簡単に剥く方法』

という記事が飛び込んできたのだ。

これだ!! と思いスマホにかじりつく。
そこには、『玉ねぎを水に3分浸してから剥くとつるんと気持ち良く剥ける』とあった。

ちがうちがう。そうじゃ、そうじゃないんだ。

3分あるならば、3分以内で皮は剥けるはずだ。
カップラーメンだって作れるし、腰痛体操とかだってできてしまうでしょう?

玉ねぎの皮を気持ち良く剥くためだけに3分も待てないって。だって私、今すぐ皮を剥いて今すぐ調理に取りかかりたいんだもの。

そう思いながら、ハッ! とした。

私、玉ねぎの皮をいつもいつも早く剥かなきゃって、なぜ故にいつもいつも焦ってしまうの? ……と。

何分単位かの早い遅いなんて差、その微妙さが許せないっていうの?

それぐらいの心の余裕を持たずして、楽しいだとか嬉しいだとか、そんなふうに感じられるはずの日常の中の事象はどれだけ薄まってしまうのか。

……と思わされ、今日も玉ねぎを使う料理をしたんだけど、結局3分水には浸さずに、普通にパリパリと皮を剥いた。

剥いてみて振り返ると、さほど面倒な作業じゃないのかも。と、アハハと笑いたい気分になった。

心の持ちようなんだね、きっと。

平日の夜の料理は、仕事後の腹が減りすぎたところで始めるから、
『早く飯食べたいんだって!』
って獣的な気持ちが玉ねぎの皮を捲る時間すら惜しく思えてしまうんだろうね。

空腹は料理時間と心の余裕を無くすんだって新たな気付きを得たよ。
私は夕飯の支度の時、腹ペコすぎるあまりに玉ねぎに八つ当たりしていたんだって気付かされた。

たぶん、昼ごはんの弁当が小さいのかも。

というわけで、明日からいつもより大きな弁当を持っていこうと思う。



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