ワークショップ第11回[20200615-0621]『はたらくにんげん』【テーマ型】
この記事はコミュニティ内部向けの記事になります。ご了承ください。
みなさん、また来ました。マッキーです。
今回は代打出場ということで、課題図書無しのテーマ型で進行させて頂きます。今回のテーマは『はたらくにんげん』です。
私たちはなぜ働くのでしょうか?働かないと負けなのでしょうか?むしろ働いたら負けなのでしょうか?働くという行為は人生のかなり大きな部分を占有していながら、こうした問いに対して考える機会が少ないような気がしまして、この機会にテーマ設定してみました。
古来、労働は肉体を酷使する苦役でした。古代ギリシアでは農耕作業は奴隷労働の象徴であり、キリスト教の『創世記』ではエデンのリンゴを食べたアダムには罰として労働が課されました。つまり、誰もしたくないことの象徴であったわけです。そして誰もが嫌がることだからこそ、民衆の”なぜ働かなければならないのか?”の声には答えが必要です。中世までその答えを担ったのは宗教秩序でした。”よく信じ、よく働け。さすれば救済の道は開かれん”
その後、宗教改革、市民革命、産業革命を経て、もはや民衆の”なぜ?”の声に応える存在は宗教秩序ではなくなりました。資本秩序に天の声を聞く(ことができるほど恵まれた)労働者もいたでしょうし、もはや何の声も聞こえず、ただひたすらに工場労働に組み込まれていった人々もたくさんいたでしょう。
翻って現代日本はどうでしょうか。多くの労働者は企業や官庁に雇われ、そこそこのサラリーを受けて暮らすことができる時代になりました。子どもの約99%が高校へ進学し、そのうち半数以上が大学へ進学します。そして高等教育の出口付近で就職活動なる行事を終え、無事社会へと出荷されていくわけです。多くの学生は必要に迫られた結果、自己分析を一斉に始め、大学3年生の夏休み明けには急に夢だったり人生の目標だったりを語り始めるわけです。私もそんな学生のうちの一人でした。そして年齢と経験を重ねてふと疑問がよぎるわけです。”俺ってなんで働いてるんだろう?”と。特定の信仰を持っていない限り、宗教が働く理由を教えてくれるわけではありません。これから先、働く必要すらなくなる社会が到来したとき、それでも自分は働くだろうか?なんのために働くのだろうか?このような問いに答えを返せるのは自分しかいません。
ということで毎回、前置きが長くなりますが今回のワークショップでやっていただきたいこと。
■(月)(火)(水)
Q1.自分にとってはたらくとはどういうことか?どういう価値を持っていたり、人生の中でどういう位置を占めるものか?
少しイメージがしづらければ、何か具体的な仕事や経験をベースに部分的なコメントで結構です。
※学生の方はどういうものであると想像しているか?あるいはどういうものであってほしいか?という観点で気軽にコメント頂ければと思います。
Q2.『好きなことを仕事にしよう!』に対する意見。
特に学生の方は自分自身現在どのようにとらえているかなどコメント頂けると嬉しいです。
Q1,Q2どちらか片方へのコメントでも結構です。
■(木)(金)(土)
Q1.自分が働く目的とは何か?
※学生の方は将来こういう目的で働きたい!という思いベースで結構ですのでにコメント頂ければと思います。
Q2.就活における自己分析論に対する意見
・『自己分析論』と一口で言ってもいろいろあると思いますのでここでは、自身の価値観・性格・嗜好等を極めて時間をかけて明文化し、希望企業との関連性をがっちりロジカルに導きだすべきであるとの考え方を指すことにします。
Q1,Q2どちらか片方へのコメントでも結構です。
それでは、一週間よろしくお付き合いください。
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