【スナックJaico@蒲田】18歳から歌舞伎町キャバ嬢、生命保険会社クビを経て独立した咲希ママの履歴書
インタビューお一人目は、JR蒲田駅西口でスナックJaicoを経営する咲希(さき)ママ。咲希さんとの出会いは、共通のお客様からの紹介。この日は銀座にてランチをしながら。合言葉は、”『じゃいこ』にじゃあ行こう!!”
18歳から歌舞伎町、会社員クビと山形転勤を経て独立
ー 咲希さん、お久しぶりです。咲希さんのお店は8月で2周年でしたよね?咲希さんって自分のお店持たれるまでもずっと水商売なんでしたっけ?
昼間の仕事もしたことあるよ!クビになったり山形飛ばされたり(笑)
ー え!詳しく順を追って経歴をお願いします(笑)
まず18から22歳まで歌舞伎町のキャバクラにいたけど、それが凄い楽しくて!成績もそこそこ良くてこのまま続けたいと思っていたけれど、当時はまだキャバ嬢が今ほど表舞台で活躍してる人がいなくて。隠すべき職業っていうか。だから私もそろそろ足を洗おうって、保険会社に入社していわゆる生保レディになったよ。
ー 生保の営業ならキャバ嬢と通じるものがありそうですね。そこでも売れっ子でしたか?
成績はそこそこだったんだけれど…。私、お客さんと仲良くなるところまではできるけれど、実際の契約の話とか難しいことを全部上司に丸投げしてたら、「俺は君だけの上司じゃないから面倒見切れない」ってクビになっちゃって(笑)一度ニートになって、そこから社員4人くらいしかいない小さい人材派遣の会社に再就職。そこは社員がいないから営業から雑用までなんでもやらされる職場で、何故か山形の営業所に飛ばされちゃって(笑)
ー 咲希さんって東京生まれですよね?山形での生活はどうでしたか?
どこに行くにも遠いから、自転車乗り回してたよ!(笑)あとは山形ではゴルフを始めた!田舎って東京と違ってゴルフに行くハードルが低いんだよね。明日何して遊ぶ?ゴルフでいっか!みたいな、カラオケとかボーリング行く感覚。
ー 今もお店でゴルフコンペ開催されてますもんね!会社員時代は夜の仕事はしていなかったんですか?
実は山形でも知り合いのミニクラブを手伝ったりとかしてたの。そうしている間に、やっぱり水商売に戻って自分のお店持ちたいなって思って、会社を辞めて新橋のスナックで1年間修行したよ。その1年後の2021年8月のコロナ真っ只中に、地元蒲田でオープンしたよ!
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