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第31話:満の帰省

 年が明けた。
 毎年、正月二日に親類が集う風習が、南野家にはある。
 一昨年生まれたぶっこちゃんのひ孫も去年1歳の誕生日を迎え、こうした集いに参加出来る人数が増えた。
 先月おこなったぶっこちゃんの誕生日会兼クリスマスパーティーでも皆が参集したが、その際はしのぶの夫、幸太がいなかったため、今回が過去最多ではなかろうか、子どもも含めて総勢11名が集結した。これは賑やかである。
 恒例のすき焼きの準備をして、色んな部屋から椅子を集めた。
しのぶも、たまの交流を、特に子どもたちとの交流を楽しんだ。
 そんな賑やかな最中、ぶっこちゃんが言うのだ。
「満さんがおってん」
 とうの昔に亡くなったぶっこちゃんの夫、しのぶの祖父のことである。
 ぶっこちゃんは軽い認知症で様々な過去の人と遭遇しているようではあるが、これまで夫のことを見たと言ったことは無かった。
「さっきな、おるはずが無いと思って確認してんけど、そこにおってん」
 ついでに、ぶっこちゃんはこうした類の冗談を言える人でもない。
 いた、らしいのだ。
 満は律儀で、最後までぼけずに逝った人だったので、恒例行事である二日の集まりに、ちゃんと合わせて来たらしかった。
 もちろんぶっこちゃん以外の誰にも見えない。
 その、関係性がそういう感覚を敏感にしているのか。若しくは年を重ねることで身につく能力なのか。
 どうもぶっこちゃんは、多くの人が生きている一般的な次元を超越して生きているように思えてならない。
 認知症の人を、一般的的な解釈で見ると「ぼけている」ということになるけれど、私たちには分からないだけ、なのかもしれないなと思ってみたりする。
 若しくは「死」という悲しい現実を理解してしまうと生きていけないという人の生きる技という見方もできるかもしれない。
 さて、しのぶもおいしいお肉をたくさん食べて満足した。こうした他者との関わりの中に始終身を置けば、忙しいけど楽しい、平凡だけど楽しい、といった人生を送るのかもしれないと思って、しのぶは家庭を羨ましく思う反面、幸太がはしゃぐ子どもたちではなく、ぶっこちゃんと一緒に並んでテレビを見ている姿を見ると、まだ暫くはこのままでいいかなと思う方に比重が勝った。
 ふいに一瞬、幸太の顔が満に見えた気がした。

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