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第48話:ミラクル

 冷え込む朝。しのぶはゴミ出しをしてキッチンに戻るとそこに、ぶっこちゃんが居た。
「あら、えらい早いやん」
 普段は昼前にならないと姿を見せないものだから、何か普段とは異なることがあったのかもしれないとしのぶは思った。何かとは、嫌な夢を見たとか、妄想の子どもか猫でも現れたとか、そういったぶっこちゃんの中での何かである。
 ぶっこちゃんはユニクロダウンの上からブランケットを被ってやはりもこもこしているが、足元は素足だ。そのへんてこりんな格好で冷蔵庫に向かって突っ立って、なにやらぶつぶつとつぶやいている。
「冷凍……サラダ……」
 どうやら、しのぶが冷蔵庫の扉に貼ったメモを見ているらしい。それにしても、冷凍サラダ?
「サラダは冷蔵やろ」
「冷凍……冷凍サラダか」
 納得したという表情で腰に手をやるぶっこちゃん。
「冷蔵!」
「冷凍サラダ」
 しのぶの声はぶっこちゃんの思考には及ばず、妙にご満悦である。
「冷凍したらカチンコチンになってまうで」
「ああそうか……冷凍サラダ」
「……」
 しのぶは諦めた。どうでもいいことである。
「それはそうと裸足で寒ないん?」
「寒い」
 それの方が問題ではないか。しのぶはぶっこちゃんの腕を引いてエアコンの温風が当たる場所に椅子を置き、そこに座らせた。
「こっちの方があったかいやろう」
 話しかけるが返事が返ってこない。まだ頭の中は冷凍サラダなのだろうか。ぶっこちゃんは周囲をきょろきょろしてみた後に椅子に落ち着いたようで
「うーん、長いことおると分からんようなってくるなぁ……また長いことおると分かってくるねん」
「そうか」
 しのぶはそう返事して、ぶっこちゃんが被っているブランケットを足元にかけてやった。
「今日は雨やな」
 早く起きてきたと思ったら朝からよく喋る。だがしかし残念、外は気持ち良く晴れている。
「晴れやな」
 しのぶが応える。
「降ってるな」
 ぶっこちゃん、負けてはいない。
「やんでるな」
 しのぶは何故か、対抗心が出てくる自分に気付くが、そのまま出してみる。ぶっこちゃんに忖度は無用だ。
「うん、降ってる音してあるわ」
 しのぶの言葉を聞いているのかいないのか。ともあれしのぶの完敗だ。一瞬、窓を開けて外を見せてやろうかと思ったが、冷気が入り込んでくるだけだからやめた。
 常に予測不可能なのがぶっこちゃんの行動と発言である。意表を突いてくるからこそ面白いのだが、だいたい真面目なしのぶはぶっこちゃんに勝てない。勝てずに、ちょっぴり悔しい思いをする。が、それ以上に楽しい。
 それにしても、ぶっこちゃんの話題の豊富さには日々驚かされる。五感で感じた様々なことから第六感以上の次元の話まで、何でも話せるし応える。しかも、誰と何を話しても自分のペースに引き込んでしまう。これは高齢とか認知症とか無関係に、天性の能力なのだろう。
「なんか、くろぉなってきたな」
 何を見たか思ったかぶっこちゃん。
「誰が?」
 しのぶはわざと、ちょっと意地悪く聞いてみる。
「誰がて……お雲さん」
「見えるのん?」
「見えるわぁ、窓がくろぉ……」
 と、窓を見てぶっこちゃんは固まった。
 東向きのガラス窓からはキラキラと明るい日差しが差し込んでいた。
「やっぱり夜はこう、あれやな」
 なかったことにしようとばかりにぶっこちゃんは窓から目を逸らし、話題を変えた。変えたはいいが、とんちんかんである。どうも、普段と異なる行動をしたせいか現実をうまく認識できていないようである。
「あれやな」
 しのぶはとりあえず、共感してみる。
「うん」
 ぶっこちゃんもとりあえず、頷いた。
 そうか、今朝は何か嫌な夢でも見たのかもしれないな。それでもってベッドから裸足で逃げてきたはいいけど、まだ半分夢の中だから混乱しているのかもしれない。そういうことにしておこう、としのぶは物語にした。
ということは、今日は優しく、共感的に。そんな風に考えながら朝食の支度を始める。
「人てゆうもんは……」
 しのぶの背後で声がする。
「人ゆうもんは?」
 復唱してみるが、返事の予測は全くつかない。
「……分からんわ」
 うん、分からんよ。ぶっこちゃん、あなたはミラクル。

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