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第29話:独演会

 年齢を重ねると、当たり前だが死が近くなり、気になるテーマになってくる。しのぶにとってはまだ自身について考えるテーマではないが、祖母が高齢ということから考えてみたりすることはある。
 ぶっこちゃんは普段陽気ではあるが、これまでに数々の身近な人を見送ってきた経験も踏まえて、そういうことを考えないではないようで、だからこそ死んだ人が一旦帰って来るというようなことを発言したりするのだろうけど、彼女曰くそういうことは仕組み化されているらしく、あまり年をとりすぎていたら無理らしい。
 日当たりのよい縁側で、ガラス扉を開けずにエアコンをつけて、ぬくぬくとした部屋でぶっこちゃんセミナーは始まった。聴者はしのぶと、夫の幸太である。
「どうもな、薬で死なせて、また薬で生き返らせるねん」
「そうなん?誰がそんなことするん」
「誰がとかやないねん、まぁ聞きなさい」
 そうか、これは討論会ではなく質疑応答でもなくぶっこちゃんの独演会なのだと思ってしのぶは黙った。
「シュウマイさんが、そうやったやろ、せやけどカネコはないな」
 だそうである。
「……」
 次の言葉を待っていたが、沈黙が続く。
「死んだ人は、どうしてはるんですか?」
 幸太が、気を利かせてぶっこちゃんに質問した。
 ぶっこちゃんは、少し考える様子を見せて口を開く。
「どないしてはるんやろな、死んだ知り合いおらんよってに」
 え、どういう意味だろうとしのぶは一瞬そのロジックを考えてみたが、まぁ、当たり前のことを言っているにすぎなかった。
 ぶっこちゃんは普段、死んだ人に出会っていると思っていて、そういう世界観をベースに思考してしまうものだから、ぶっこちゃんは死の国のことを何でも知っているように錯覚してしまっていたが、ぶっこちゃんの過去の言葉を回想しても単に「いた」と言うのみであって、存在を認識したにすぎず、ぶっこちゃんにとっても恐らくは知り得ない世界なんだろう。
 ふいに、思い出したようにぶっこちゃんがきょろきょろして言う。
「そういや、お婆さんはどこ寝てはるんや?」
「お婆さんて、ぶっこちゃんか?」
 しのぶは聞き返す。
「いいや、お婆さんのお婆さん、鶴子お婆さんや」
 ぶっこちゃんの言う鶴子お婆さんとは、正確にはぶっこちゃんの母親である。どうも、記憶がごっちゃになっているのか、若しくは息子視点が混じっているのか。
「仏壇の中に寝てはるわ」
 しのぶが仏壇の方を眺めると、ぶっこちゃんもゆっくり仏壇の方に首を動かした。
「ああ、えらいから、あっちとこっち二つで生きてはるんや。亀太郎さんも時々いはるで」
 また、新たな発見である。こうした発見が、しのぶは興味深く掘り下げたくなるのだが、質問するとなかなか答えてもらえないこれまでの経験から、黙って次の言葉を待つことにした。
 すると、また何やら考えている様子で、ふいに
「じいさんは?」
 と聞いてきた。
 この場合の「じいさん」が亡き夫、満のことなのか、自身の父親である亀太郎のことなのかは分からないが、それはどうでもいい。
「じいさんは」と聞かれたら
「山へ芝刈りに」
 と答えるのがしのぶの常であった。
「あーあ」
 ぶっこちゃんは、妙に納得する。
 また少し考え
「ばあさんは?」
 こう聞いてきた。
 しのぶはやはり
「川へ洗濯に」
 完全に、しのぶは面白がっている。
 ぶっこちゃんも、もしや?と思って顔を見るが、どう聞き間違えたのか
「ハワイ?」
 驚いた様子で聞き返してきた。
「川へ」が「ハワイ」に聞こえたらしい。もうこうなったらセミナーから遊びの時間に変わる。
「せや、ハワイや」
 隣で幸太がにこにこしている。なんて長閑な週末なんだろう。こういう日常が、ずっと続いて欲しいと思いながら、ぶっこちゃん観察と記録は続く。

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