ケセラセラの歌詞から(ミセスグリーンアップル)永劫回帰の話
『ケセラセラ』Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)のお話です。
最近、見てたドラマの主題歌になっていて、なんとなくピンときてて、何度か繰り返して聴いていた曲。
「ケセラセラ」って、どんな語感がありますか?
ケセラセラの軽やかさ
意味は「なるようになるさっ」で、僕にとってはスペイン人らしい軽い語感がありました。
なんとかなるよー、ポジティブシンキング☆
でもね、この歌詞を調べてみたら、ですね。
「ツァラトゥストラ」の一語が……
きっと、これは『ツァラトゥストラはかく語りき』(ニーチェの著作)の
ツァラトゥストラ なのでしょう。
スペインのケセラセラと、ドイツのニーチェ……だいぶ世界観がちがいます。
これは永劫回帰の歌?
ツァラトゥストラ
この言葉を見た瞬間に僕は、そうか。
これはニーチェの「永劫回帰」の歌なんだ、と、やっと理解しました。
その瞬間、この「ケセラセラ」という軽い語感が、ずどーんっ、と地に足のついた重量感のある語感に。
アーティストってホントすごいですね。
永劫回帰は、このつらい人生が続くこと。
しかも、延々と無限にずーーっと、永遠に繰り返されること。
無限地獄ですよ。
そうなったら、多くの人は
「えええーーやだやだやだぁぁぁ
誰かたすけてぇぇぇぇぇ!!!」
そんなふうに取り乱したり、絶望してしまうかもしれません。
そのうち延々と続く辛い状況に
もういいやって、投げやりにもなるでしょう。
そして、グチグチいいながら、それでも無限から抜け出すこともできず、恨み節をいいながら、永遠に生きるのでしょう。
人生の全肯定 ケセラセラ
一方ですね、ニーチェさんの考える人間のあるべき姿
「超人」は
「自ら望んで、自分原点で、そんな絶望すら何度でも再演するぜ」
というのです。つまり、こういうことです。
なに? 人生?
確かに、それはつらいものかもしれないね。
思い返せば、失敗と後悔ばかり、ホント絶望ばかりさ。
こんな人生、お世辞にも「最高だ!」なんていえないよ。
この歌詞にあるように、私の人生は「悲劇の図鑑」なのかもしれない。
けれどもね、
けれどもだよ。
それが、他でもない、私の人生であるならば。
愛すべき絶望の我が人生、さぁ永劫回帰せよ。
ケセラセラ!
……これが超人の生き方「自分原点」だというのです(マッキー勝手解釈)
ニーチェはこの自分原点に、人間という存在が持つ可能的極限を見ました。
ここに薄っぺらいポジティブシンキングではない、真実の全肯定があると思うのです。
私を愛せるのは 私だけ
だから、歌詞はこうしめています。
「私を愛せるのは、私だけ」
「生まれ変わるなら?」
「また私だね」
そんなふうに歌った彼らの2023年の東京ドームライブのタイトル
「アトランティス」ですからね。
泣けますね。
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