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「戦争と女の顔」

もう何年も行っていなかったミニシアターに足を運んで、朝イチで映画「戦争と女の顔」を観に行った。

淡々と毎日をこなすことー人と関わることも、仕事をすることも何もかもが嫌になってしまって、なんでもいいから映画が観たくて、前日夜に思いつきで予約した。

内容も原作も全然知らないまま行ったが、なんとなく想像してた以上に良い作品だった。
思っていたよりずっと、救いがなく、ショッキングで、けれど力強い命をまざまざと見せられたように思う。

そして「同じ地獄に落ちる」というのはこういうことをいうのかもしれない、と思った。

あまりネタバレにならない範囲でふんわりと感想を書きたい。

同じ地獄に落ちる

ーTwitterのオタクたちがよく使っている気がする構文。なんとなく、しんどい作品を共有するときに見かけることが多い気がするが、あまりピンときていなかった。

この作品、マーシャが登場してから終始怖い空気で、作品から受け取るショックを消化できないまま次のショックが起きる。ずっと落ち着かず、不安なまま話が進んでいく。

いくらなんでもイーヤがかわいそうだ、と思って観ていた。

けれど、冒頭から悲劇的に描かれていた彼女とまた違う大きな苦しみを抱えて、違う方法で立ち向かおうとしているのがマーシャだったのだ。

ストレスの抱え方は人によって違う
耐え難いストレスに晒されたとき、気持ちが内側に向いて固まってしまうイーヤのような人もいれば、外に向けて発散する(人を攻撃しているように見えて、一番傷付けているのは自分自身)マーシャのような人もいるよな、と。

この作品の一筋の救いがあるとするのなら、そんな対極的なふたりが一緒に同じ方向を向いて、痛みを分かち合ってることなのかもしれない。

やっていること自体はほんとうに不可解で、周囲の人からしたらわけがわからない。けれど2人なりの方法で対処しようとしていて、そんな絆が焔となり暗い暗いぬかるんだトンネルを乗り越えようとするような……。
極寒のロシアの地でありながらものすごい熱を感じたし、喪失感の中からなにか力が芽生えたような気がした。

痛みに真摯に向き合う時間を持ちたい
カタルシスというのか、ネガティブなものから得られるエネルギーにはすごく説得力があり、大地を踏み締めて前へ進もうという気持ちになることがある。

明るい話を観て得られるポジティブパワーももちろん大事。そんな気持ちでずっとやっていければそれでいいのかもしれない。けれど日々生きていく中でどうしても解消できない不平不満や、見過ごしてるつもりな問題などを「なかったもの」として扱うのは違うと思う。
だから時々、こういう作品を通して「強烈な痛み」を目の当たりにして、色々考えたい。ビシッと今あるものの大事さとかやるべき事とか、自覚していきたい。


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