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とっても淋しい答え

公開にちょっと時間を要してしまいました。



あなたの成功を、お客様以外で、一緒に喜んでくれる人はいますか?

この問いに、答えられなかった、、、

そんなはずはないんですけど、

誰もいない、と思ってしまった。


なんとか絞り出して、息子、かな。


両親や妹は、よかったね!とか言いながら、絶対そうは思ってないんだ。

私の成功を喜ぶはずがない。頑なに、そう信じてる私がいた。


私は、家族にとても失望して、そのままずっと失望してる。

いろいろなことを諦めてる。理解してもらうこと、応援してもらうこと、協力してもらうこと。

実際は、助けてと言えば助けてくれるのに。

でもその「助けて」も、これくらいならできるでしょ?的なことしか言わないようにしてたりする。



あの人たちは、

私が不幸になって、それを憐れむこと、同情すること、援助することで、生きがいを得ている。

という、とんでもない思い込みの中に生きている、わたし。。。

(ほんとに、そんなひどい人たちでは全くないんですよ。むしろ親切な方。)



でも、そう感じていることすら、今までは気づいてなかったから、

今は、そう感じてたんだ〜っていう私を感じてみることにする。



優しくないなー私。


正直な気持ちの前に、これがくっついていて、

正直な失望とかその奥の淋しさとかを感じる前に、「ひどいやつだな、お前」がいつも私を悩ませてたんだね。



私は、ほんとに、

ただただ、寂しかった。淋しかった。


自己開示ができなくなって、

自分がわからなくなって、

私がどこかに追いやられて、

さみしくてさみしくて。


そういうシンプルなことだったのが、ぐっとこらえて抑え込んでしまうことで、異質なものに変容してしまう。

感情とはそういうものだ。


「さみしい」が出せない小さい私は、「かわいそうな人」でいることで気を引く作戦に出てきていたらしい。

ぐらしかねぇ~(訳:かわいそうねー)と言わせることで、関係を保ってたみたい。


なぜその関係性でいたかったのか?その先がまだありました。この憐れんでもらう、同情してもらう関係の方が、まだましだったのです。

それについてはまた。







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