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「核」の部分は晒せない

ここ最近、自分の「習慣性」を観察している。潜在意識を観察する意図で。

そうしていたら習慣的に、ルーティンとして欠かせないテレビ番組や、ちょっと時間があればゴキゲンになるのに観る動画とかがあるけど、それらについてほとんど文章にしたことがないなと思った。


多分それらは「本当に好きなもの」なんだろうけど、
もはや「好き」って自覚すらなかったり、あえて「これが好き」と公表する気もないのかもしれない、とふと思った。

私にとって、私の「核」に近いものになっていて、
そういうものってむやみに公表して下手に評価されることを極端に恐れているのかもしれない。


マインドについて学んでいると、
「晒す」と「許せる」とか「解放される」とかってセオリーがあるけど、

それよりもっと手前の、「晒すなんてこえ~よ」って気持ちにこそ素直になるべきだったんだなって、今になって分かった。


ちゃんと怖がる自分と向き合えるようになったのは、
少なからず、オードリーの若林さんの書く文章に影響を受けている気がする。

毎月のnoteの更新も本当に楽しみだし、トイレで1項目ずつ読む「ナナメの夕暮れ」も本当に胸がスカッとするものがある。

自分と向き合い続けてきた人の紡ぐ言葉だからだろうか。とてもここちいい。

質問に対して答える時も、相手の方への尊敬の姿勢をしっかり持ちつつ、自分の意見をまっすぐ述べる(ように感じる)、そんな言葉を紡げるようになりたいな。


私はまだまだ、自分のボンネットを開けて、自分に積まれたエンジンやその他のパーツについて見続けてるところ。(あちこちオードリー語録ですね)

年齢を重ねて変わってきたこともあるしね。


そこに関しては、飽きないんだな、私。笑



これから少しずつ、「核」に近い、好きなものについて書いてみようと思います。

今日も書いてみて思ったけど、自分の願望、なりたい姿やありたい姿が見えてきますね。

そうそう、それが知りたいのよね。私。


今日見えたのは、


相手の方への尊敬の姿勢をしっかり持ちつつ、自分の意見をまっすぐ述べる(ように感じる)、そんな言葉を紡げるようになりたい

っていう願望でした。

未来の私のカケラ、一つゲット。


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